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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■聖と呼ばれるようになる / 福井 誠

2015年01月08日 | Weblog
2015/1/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「聖と呼ばれるようになる」です。それではイザヤ章を4章3節から読んでみましょう。

 「 シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。

 神様は全く目に見えないお方ですが、生きておられ私たちを正しく裁かれるお方として聖書には描かれていますね。しかも人は神様がいつどのように人を裁かれるのか全く分からないのです。当時のイザヤの時代の人々も同じでした。結局女性たちは金と色恋に明け暮れる愚かの中で神に裁かれ、男たちも権力と名声にしのぎを削る愚かさの中で神の裁きを受けることになりました。人間というのは結局何一つ悟ることなく神の裁きに、ある日突然足をすくわれることがあるものなのですねえ。

 ところが聖書は面白いことを言っています。神の裁きで多くの人が滅びることがあっても、神のあわれみによって残された者たちが神様を認めて神様に助けを願うと
、神様はその人たちを救い出される、というのです。しかも注意すべきは残された者は立派な者ではありません。先入観を持って私たちは忠実な者が残されると考えがちですが、そうではないのです。むしろ残された者は遊興三昧と享楽の人生を歩み切ったエルサレムの女たちに象徴される、神に逆らい続けた人々です。しかしそれでも神は、助けを願うならば、裁きの霊と焼き尽くす霊によってその汚れを洗いすすぎ清めるというのです。神はまさに愛の神ですねえ。悔い改めの者、砕かれた者の味方です。

 そして神は人の行いを強制するよりも新しい命を与えるお方です。自制させるよりもその命の力により変えてくださるお方です。何の価値もないあわれみを受けるに全く値しない、無知と愚かさの中に生きている私たちに、神は新しい命を注ぎ、新しい人生へ導かれます。

 あなたは諦めていないでしょうか。自分の汚れた人生などつまらない人生で終わってしまう、と。しかし変わりたいと思った時にこそ神に祈りを捧げる時です。悔い改めて神を求め、神に近づくべき時です。

 ぜひ教会に行って聖書のお話を聞いてくださいね。


(PBA制作「世の光」2015.1.8放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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■旅立ちの前に  /  板倉邦雄

2015年01月07日 | Weblog
2015/1/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「旅立ちの前に」という題でお話ししましょう。

 「いい日旅立ち」という歌がありました。確か山口百恵という歌手が歌っていました。モーセも神様からの召命、ま、英語ではコーリングcallingと言いますが、呼び出しを受けてエジプトへ帰ることになります。

 さてモーセはシナイ山から妻チッポラの義父エテロの所へ帰りました。そして義父エテロにお願いします。「お父さん、どうか私をエジプトにいる身内の者の所へ帰らせてください。身内の者たちがまだ生きながらへ元気かどうか見に行きたいのです。」 

 義父エテロはモーセに言いました。「安心して行ってきなさい。」

 モーセ40歳の時、命を狙われましてエジプトから逃亡し、ミデヤンのエテロ家の花婿になりました。羊飼いとなって家族と共にシナイ島を巡りました。あれから40年、モーセは80歳になっていました。40年前の殺気立った近寄りがたいモーセから白髪と髭を蓄えた柔和な好々爺っちゃまになったモーセを想像できるでしょうか。

 エジプト王子としての40年がモーセに必要であったように、ミデヤンの地で羊飼いをしながらシナイ半島を羊牧する40年も重要な年月だったのです。モーセの人間性としての成長のためにも、またこれからエジプトを脱出した神の民を羊のようにシナイ半島を始め40年荒野を導いていくために必要でした。どこに水があり、どこに危険な場所があるか、どこに緑があるか、40年の羊牧生活はその準備となったのです。

 「人に歴史あり」と言われます。人それぞれの歴史があります。主なる神様は個性的に関わりを持っています。ですから、無駄な人生の歴史を歩ませることはありません。いい日旅立ちのためにはすべての道で主なる神様の導きと配材を認めることです。そうすれば主なる神はあなたの道をまっすぐに整えてくださるでしょう。

 聖書のことばです。
 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
                   ローマ人への手紙 8章28節

 (PBA制作「世の光」2015.1.7放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■おたより紹介 - 起きよ / 大嶋重徳

2015年01月06日 | Weblog
 2015/1/6放送

 世の光の時間です。

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。 大嶋重徳です。 さて今日は番組宛にお葉書をいただきましたので、ご紹介したいと思います。大阪市の○○○△△△さんです。

 「こんにちは。久しぶりにお葉書を書きます。私は日本キリスト教団●●教会で礼拝に通っていますが、今まだ入院しています。朝4時には目が覚めるので、いつも病室でイヤホンで聞いています。神様に生かされていることにいつも新たに気づかされ、病んでいる心も救われています。感謝しています。」

 お葉書ありがとうございます。今入院をなさっておられるのですね。○○○さんの癒しのためにお祈りをしております。

 私が聖書が好きだなと思うことの一つは、聖書は単なるハッピーエンドの物語でもなく、神様を信じたらお金持ちになれますよとか、あなたの人生が成功しますよというような物語が記されてはいないことです。むしろ病の中にあってもなお神を信じることできる強さを語り、痛みと悲しみのどこに神がいるんだろうかと思える人生にも、やはり神様は私と共にいてくださった、そう思える信仰の歩みを聖書は語ります。○○○さんのお葉書にあった「神様に生かされていることにいつも新たに気づかされる」ということばに私もとても励まされています。

 聖書の詩篇には、「神は、昼は雲をもって、彼らを導き、夜は、夜通し炎の光で彼らを導いた。」(詩篇 78章14節)とあります。神様は私たちが眠っている間も夜通し私たちを導き守っていてくださっているのです。ですから私たちは安心して今日も朝を迎えることができます。

 私たちが朝、目が覚める時に、実は神様は「起きよ」と声をかけてくださっているから私たちの目は目が覚めるのです。「今日を生きなさい」と神様がおっしゃっておられるから私たちは今日も生かされているのです。この神様の生かしてくださっている一日を受け取り今日を生きることができるのはどれだけの安心と喜びがあるのでしょうか。ぜひ番組をお聴きの皆さんもこの安心の中を生かされていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2015.1.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■岩と呼ばれる男 / 関根弘興

2015年01月05日 | Weblog
2015/1/5放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日から数回に渡って、イエス様に従っていった弟子たちの姿を通してお互いの人生を考えていきたいんです。

 最初に紹介する弟子はペテロです。大変有名な弟子の一人ですね。実は新約聖書にはペテロはいろいろな呼び方で紹介されています。ペテロの本名はバル・ヨナ・シモンと言います。ではこのバル・ヨナ・シモンがペテロと呼ばれるようになったきっかけは何だったのでしょう。

 このシモンにはアンデレという兄弟がいました。このアンデレがまず最初にイエス様と出会うんですね。その後アンデレはシモンの所に行って、「私たちはキリストに出会いました!」と告げるんです。そしてシモンをイエス様のもとに連れて行ったんです。するとイエス様はシモンに「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」(ヨハネ 1章42節)と言われたんです。

 ケパとはアラム語で岩という意味です。このケパをギリシャ語に訳すとペテロとなるんですねえ。つまりペテロというのはイエス様がシモンにつけられたニックネームのようなものなんです。岩とあだ名されることは岩のように動かされることのない者とか、しっかりとした土台そのもののような存在という意味にも取れますねえ。何があっても動じることのない、とても力強い頼りがいのあるニックネームです。

 でも、ペテロは本当に岩と呼ばれるような者だったのでしょうか。何があっても動じることのない者だったでしょうか。どうも聖書を読むと違うようですね。なぜならペテロは後にイエス様を三度も否定してしまうような大失敗をしてしまうんです。

 それではイエス様はなぜペテロと呼ばれたのでしょう。イエス様がある時弟子たちにこんな質問されたことがありました。「人々はわたしを誰だと言っていますか?」( マタイ 16章13節参照) こういう質問です。するとペテロがこう答えました。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 (マタイ 16章16節) こう答えたんですね。するとイエス様は「わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」 (マタイ 16章18節)と言われたのです。イエス様は、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白したペテロに、「あなたを岩と呼ぼう」とここでも言われたんですね。それはいろんな失敗がある、挫折はあるけども、ペテロが後に教会のリーダーとなることをイエス様は見通しておられました。そして、あなたは神の御子キリストです、という告白こそは教会をそしてあなたの人生そのものを立て上げていく築いていく大切な大切な土台の岩となることを教えているんですね。あなたもこの告白に生きて行きませんか?

 (PBA制作「世の光」2015.1.5放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■正しい統治者である神 / 羽鳥頼和

2015年01月03日 | Weblog
2015/1/3放送

 世の光時間です。明けましておめでとうございます。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 新年をどのように迎えられたでしょうか。今年一年、神様の祝福があなたに豊かにありますようにお祈りします。

 今日は旧約聖書の詩篇75篇の神のことばを紹介します。

  「わたしが、定めの時を決め、わたしみずから公正にさばく。」(2節)

 「公正にさばく」とは正しく治めるということです。正しい統治者である神は続けて言われます。

 「地とこれに住むすべての者が揺らぐとき、わたしは地の柱を堅く立てる。」(3節)
 
 この世に混乱が起こり、この世も人も不安定になる時、神は安定を与えてくださいます。政治も経済も生活も不安定な時代です。絶対に確かなものが無い時代です。そしていろいろな争いが絶えません。そんな中で神だけが揺らぐことのない絶対に確かなお方であり、この世にそして人に本当の安定を与えてくださるのです。それが安心であり平和です。神がこの世を正しく治め、人に安心を世に平和を与えてくださるのです。

 そのような神は続けてこのように言われます。

 「悪者どもの角を、ことごとく切り捨てよう。しかし、正しい者の角は、高く上げられる。」(10節)
 
 「悪者どもの角」と言うと、何か鬼の角のようなことを思ってしまいますね。でも、ここの角というのは権力とか力を表します。神様は悪者の力を失くし正しい者を強くしてくださるのです。「正しい者」とは神を信頼し神の命令を守り行おうとする人のことです。私たちが神の正しい統治のもとにあるなら、私たちの心には安心がそして平和がもたらされるのです。

 さあ、2015年が始まりました。西暦はA.D.と言います。それはラテン語で「主の年」という意味です。今年を主の年として歩みましょう。あなたに神が安心と平穏を与えてくださいますように。

 明日は日曜日です。キリスト教会では今年最初の日曜の礼拝をささげます。あなたもぜひお近くのキリスト教会へいらしてください。


 (PBA制作「世の光」 2015.1.3放送でのお話より )
 
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■神のことばを心に抱いて… / 岩井基雄

2015年01月02日 | Weblog
2015/1/2放送

 世の光の時間です。新年明けましておめでとうございます。岩井基雄です。どうぞ今年もよろしくお願いします。この新しい年、皆さんはどんな夢やビジョンを抱いていらっしゃいますか? 新しい年を新たな決意や目標を持って始めていくことはとても重要で素晴らしいことですね。

 ドイツの神学者ドロテー・ゼレの著書に『幻なき民は滅ぶ』という本があります。題名の由来は聖書からですが、どこかで聞いたことがあるなあと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。文語訳という古い訳の聖書には『幻なき民は滅びる』と書かれています。幻やビジョンを持つことは確かに重要ですが、実はこの箇所の本来の意味は少し違っています。その聖書の箇所をお読みしましょう。

 「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」
   旧約聖書 箴言29章18節

 この「幻」と訳されているヘブルの「ハーゾン」は神様からの啓示や夢で示されるメッセージなどを意味し、その直後の「律法」と訳されてることばとセットになっていますから、ここでの幻とは律法すなわち神のことばである聖書のメッセージを中心に指しています。神のことばである聖書に耳を傾けない者はわがままに振る舞い、抑えがきかなくなる。しかし神のことばである聖書を守るものは幸いである、という意味になるのです。自分の思いや願いを目標とすることも素晴らしいと思いますが、神のことばである聖書から私たちへのチャレンジを示され、それをこの一年の目標とする歩みをあなたもしてみませんか? 神のことばである聖書を基盤とし、また人生の指針として歩むとき、私たちは自分のわがままな思いから離れ、自分が喜ぶことではなく、神様が喜んでくださることを優先するようになります。そしてそのような人生は人に喜ばれ、豊かな祝福を受ける者となるのです。この新しい一年、あなたも神様の教えを喜びとし、指針として歩んでいきませんか?

 聖書のことば
 「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」
  詩篇 1篇2節、3節


(PBA制作「世の光」2015.1.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■義人は幸い / 福井 誠

2015年01月01日 | Weblog
2015/01/01放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「義人は幸い」です。それでは、イザヤ書3章10節から読んでみましょう。

 「義人は幸いだと言え。彼らは、その行ないの実を食べる。

 皆さんは日々何を頼りにして生きているでしょうか。お金でしょうか、会社でしょうか、ある特別な人でしょうか。何かを頼りにして生きていることはあるものですねえ。イザヤの時代、人々は自分たちの支えとして軍隊・裁判官・預言者・法律家・占い師、様々なものを頼りにして生きていました。しかし神は、そのような、人が頼りにするものを除かれる、と断言します。それはまことの神を知るため、誰が本当のいのちの支え手であるかを悟るするためである、と言うわけです。

 私たちは世の中の出来事を神がすべて握っておられるということを理解しなくてはいけません。神様なんて空想の世界だ、ではありません。神は目には見えなくても物事の背後にあってすべてを導いておられるお方です。ですからその神様を認めないのなら期待はずれのことが起こる結果にもなる、と言います。

 例えば、指導者を頼りにしても、神は真に知恵ある指導者を取り去られ、代わりに気まぐれで中身のない指導者を与えることもあります。その結果、国は無政府状態になり、混乱に陥り、間違ったものを信頼した苦しみを味わうことになるわけです。

 けれどもそれはあくまでも本当の人の支え手は神であることを悟らせるためです。ですから、たとえ私たちが間違ったものを信頼して人生につまずくことがあっても、望みが無いわけではありません。神様を敵に回したのだからもうどんなに自分の人生を修復しようとしても無駄である。ますます坂をころげ落ちるのみで回復の望みはない、と思ってはなりません。「義人はその行いの実を食べる。」 つまり神様に立ち返って正しい歩みをするならば、その報いを得る、と言います。問題は私たちが人生の坂をころげ落ちて行くような時に、そこで悔い改められるか、です。自分が支えとしていたものが間違っていたことを認められるか、ですねえ。本当に私たちの人生を変えてくださる、支えてくださる神様に心を向けて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2015.1.1放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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