♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ここに知恵がある / 福井 誠

2014年09月18日 | Weblog
2014/9/18放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ここに知恵がある」です。それでは黙示録13章18節から読んでみましょう。

 「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

 今日の箇所では二匹の獣が出てきます。一つは海からの獣。それは豹、熊、獅子など、獰猛な動物を合体させた怪物ですねえ。ただ豹は俊敏さ、熊は強力な破壊力、獅子は威嚇的な力を象徴します。つまりヨハネはサタンに操(あやつ)られて地上を支配する横暴な権力者を描いているのですね。

 もう一つは地からの獣。この獣は明らかに海からの獣の協力者として描かれています。こうして竜、海からの獣、地からの獣は、それぞれサタンに操られる地上の権力者、地上の権力者を支援する宗教的カルト的な力と理解して良いでしょう。常に天上でサタンと呼ばれる存在が戦いに負けて地に投げ落とされています。サタンは地を舞台に憂さ晴らしをしようとしていますね。けれどもサタンは霊的な存在、目に見えない存在です。そこでサタンは地上の政治的権力者とその協力者を利用して神様に敵対し、神様に従う者を滅ぼそうとしている、という訳です。ドラマの概要が分りました。

 次に大切なのは、このドラマを最初の読者のユダヤ人だったらどう読んだかということです。黙示録を読む第一の原則は、細部にこだわらず、大まかなイメージを捉えていくこと。第二の原則は、当時の読者がどう読んだかを考えることです。

 それで、当時のユダヤ人だったらこうした獣の姿でドラマに必ず連想するものがありました。旧約聖書のダニエル書と同じ獣が描かれていること、つまりダニエル書の物語ですねえ。

 ダニエル書もユダヤ人が激しく迫害された時代の記録です。つまりユダヤ人は今の私たちと違ってこの記事を読みながら苦しみの中にあって神の奇跡的な力に守られた時代を思い起こしたのです。そしてその時ダニエルは苦しみに遭ってもいつもと変わらない生活をし、耐え忍んだことを考えさせられました。

 聖書は全体を読めば読むほど理解が深まります。ぜひ教会に行って聖書を読み、あなたにも与えられている神の守りを知っていただきたいと思います。


(PBA制作「世の光」2014.9.18放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■出エジプト記 / 板倉邦雄

2014年09月17日 | Weblog
2014/9/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日からモーセ五書の二番目の書物、出エジプト記を連続してお話して行きたいと思います。では最初ですから出エジプト記全体を見ることにしましょう。

 まず出エジプト記の主題は「贖いの神」です。「贖い」ということばには二つの意味があります。一つは奴隷状態からの脱出です。もう一つは新しい主人の所有となると言うことです。


 奴隷だったイスラエル民族を神様がモーセを通して解放する歴史と、神様の民族として神様の宝となった人々の訓練と教育とが記されているのです。いわゆる贖いの神の歴史が1章から19章の前半に描かれ、そして20章から40章の後半は神の律法が記されています。律法は贖われた私たち信仰者の土台となるものです。

 次に歴史的背景について触れておきたいと思います。出エジプト時代のエジプトの王様・パロは誰かと言うことです。有力な説は紀元前1450年から1420年までに治めましたアメンホテプⅡ世です。もしイスラエル民族のエジプト脱出がアメンホテプⅡ世の時代に行われたとしますと、紀元前1500年トトメスⅢ世がイスラエルの人々を迫害したパロ王となります。そしてその赤子のモーセをナイル川から救出した女王はトトメスⅡ世と異母姉妹にあたる女王・ハトシェプスト女王となります。彼女はトトメスⅢ世の最初の20年間、代わって政治を行いました。ま、この辺を頭の隅に入れておいてください。

 最後に出エジプト記は私たちを罪の奴隷から救出し神の子とする救い主イエス・キリストの模型です。贖罪の神であるイエス・キリストの影です。

 ある聖書学者のことばを引用しましょう。「出エジプト記は、神が恵みによりイエス・キリストによって人間を贖いまた再び神により神ご自身のものとされるために成し遂げられるみわざを歴史的に描いたものである。イエス・キリストこそ大預言者モーセであると共に大祭司アロンでもある。」

 これからその歴史をたどりながら、歴史のすべてを支配し導いておられる神様を見て参りましょう。


 (PBA制作「世の光」2014.9.17放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■神のわざが現れるため 3 / 大嶋重徳

2014年09月16日 | Weblog
2014/9/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。ヨハネの福音書9章には、生まれつき目の見えない青年に、イエス様の弟子たちが「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と質問した出来事が記されています。

 この弟子たちのことばがこの当時のユダヤ社会の考え方でした。彼はいつものように言われてるなあと思っていると、今まで聞いたことのないことばが聞こえてきたのです。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

 彼は今まで聞いたことのないことばを聞くんですね。「ええっ? 誰? どういう意味?」 すると、何か目の前でペッという音がして、ベチョベチョ、こねこね、という音がして、自分の目のまぶたにいきなりムチャッとしてものが塗られたんですね。そして「行ってシロアムの池で洗いなさい。」と言われたのです。

 これはびっくりですよ。周りも「おいおいイエス様。」と思ったかもしれません。一番驚いたのは本人でしょう。普通だったら、どこのどいつが俺が目が見えへんからってバカにして、と怒ったかもしれません。しかし彼の耳には確かに、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」と聞こえた。今まで周りは目が見えないのは親の犯した罪のせいだと言ってきた。しかし自分の親のせいでも自分の犯した罪のせいでもないのか、このことばを聞いた時、彼はシロアムの池に向かおうと思ったのです。彼は自分の人生に起こった出来事を自分のせいにするのでもなく親のせいにするのでもなく真正面から向き合い、神のわざが私には現れるとは何だろうか、と考えながらシロアムまで歩きました。シロアムの池で洗った時、彼の目は見えるようになったのです。

 イエス様のことばは私たちが今まで聞いたことのない響きをもっています。時には、「えっ? どういうこと?」とすぐには分からないこともあります。しかしイエス様のことばに出会うとき、自分の人生と向き合うことを恐れず、自分の人生を神のわざが現れるとは何か、と神様の眼差しの中で考えることができるようになるのです。さあ続けてこの男はどうなっていくのでしょうか。続きは来週です。

  ( PBA制作「世の光」2014.9.16放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■わたしに従いなさい / 関根弘興

2014年09月15日 | Weblog
2014/9/15放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは十字架につけられ三日目に復活なさいました。復活されたイエス様は弟子たちに現れ、ペテロにこう言われました。「あなたはわたしを愛しますか。」(ヨハネ 21章15節、16節、17節) そしてイエス様は「わたしの羊を牧しなさい。」(ヨハネ 21章15節、16節、17節)と新しい使命をお与えになりました。

そしてイエス様はペテロにとても不思議なことを言われたんです。
年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」(ヨハネ 21章18節)

 このように言われたんですねえ。とても不思議なことばですね。

 この「自分の手を伸ばし」という表現は、腕を伸ばして十字架に貼り付けにされることを表すのによく使われた表現だそうです。つまりイエス様はここで、「ペテロよ、あなたはあの地に殉教の死を遂げるだろう。」ということを予告なさったという訳ですね。そしてその事を話してからイエス様はペテロに、「わたしに従ってきなさい。」(ヨハネ 21章19節参照)と言われたのです。

 イエス様は誠実な方です。私たちの前においしいにんじんをぶら下げて、「ほうら、従って行った方が得だぞう。いいことがあるぞう。」と、騙して従わせるようなことはなさいません。イエス様を信じて従っていくときにも、すべてが順調に行くとは限りません。困難があるし、行き詰まることもあるし、迫害もあるんだ、とあらかじめ言われているのです。でも聖書の中にはたくさんの約束が書かれています。

 たとえばコリント人への手紙第一 10章13節には、
 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
 このように書かれています。

 またローマ人への手紙8章28節には
 神を愛する人々すなわち神をご計画に従って召された人々のためには神がすべてのことを働かせて益としてくださること私達はしています
 と書かれています。

 その他にも聖書の中には、たくさんの確かな約束が書かれているんですねえ。

 私たちの生涯は何が起こるか分りません。明日のことは分からないんです。でも明日のことを御存知なイエス様があなたと共にいてくださるなら、何と大きな安心でしょう。主が共におられ、守り、試練の中で成長させ、すべてのことを益としてくださり、最終的に天の住まいまで導いてくださるのです。ですからこの方を信頼し歩んでいきましょう。


 (PBA制作「世の光」2014.9.15放送でのお話しより)

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■信頼の的である神 / 羽鳥頼和

2014年09月13日 | Weblog
2014/9/13放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとございます。羽鳥頼和です。秋は収穫の季節です。今年の夏、私の息子はプランターでトマトときゅうり、そして小ぶりのスイカを育てました。私は日よけのためにゴーヤを育てました。これもプランターで育てましたが、数週間で窓全体を覆い、幾つもの実をつけました。プランターでこれらの野菜は大きくなり、実をつけました。これは大きな驚きでした。そして収穫は大きな喜びでした。

 さて旧約聖書の詩篇65篇には大麦の収穫の感謝を歌った詩があります。それは神様に語りかける形でこのように歌われています。

 「あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。
           詩篇 65篇9節、10節

 イスラエルは雨がとても少ないところです。そんな土地に神様は豊かに雨を降らせて穀物を成長させてくださるのです。このようにイスラエルの人々は収穫を与えてくださる神様に感謝し、賛美しているのです。
 実はこの収穫の感謝のことばは65篇の後半に語られています。詩の前半にはこのようなことが語られています。

 「神よ。あなたの御前には・・・賛美があります。・・・みもとにすべての肉なる者が参ります。・・・あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。・・・幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。」(詩篇 65篇1節、2節、4節より抜粋)

 この部分は過ぎ越しの祭りの時のことを歌っています。大麦の収穫の頃、過ぎ越しの祭りが行われました。そこでは人々の罪のためにいけにえが捧げられ、罪の贖いが行われました。その罪の贖いを覚えて、「神様、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。」と言っているのです。
 
 続い神様にこう語っています。

 「私たちの救いの神よ。・・・あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の、信頼の的です。」(詩篇 65篇5節より抜粋)

 神様は地の果てのすべての人々をも救うことのできるお方です。

 明日は日曜日です。信頼できる素晴らしい神様を礼拝するためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.9.13放送でのお話より )
 
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■主の山の上には備えがある / 岩井基雄

2014年09月12日 | Weblog
2014/9/12放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。神様は様々な助けを用意して私たちの人生に触れてくださることがありますね。苦難や失望などの人生の荒波の中でこそ味わうことができる神様の助けがあるのです。

 先月も学んだように、アブラハムは愛する独り子イサクをモリヤの山で捧げよ、との命令を受けました。アブラハムが遭遇したこの人生の荒波は、言うならば神様ご自身が起こしたものでした。

 しかしその中でアブラハムは神様の真実に信頼し実行しようとしましたが、神様は息子を屠ろうとする彼の手をとどめられ、代りに角を薮に絡ませた雄羊を用意してくださったのです。そのすべてのことを通して、「主の山には備えがある」、---旧約聖書に記されたヘブル語ではアドナイ・イルエ---、と言われたのです。聖書にはこのようにしさえています。

 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶに引っかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。
          旧約聖書 創世記22章13節、14節

 神様は意味もなく私たちの人生に苦難を与えることはなさいません。不思議な助ける道を用意した上で、私たちに敢えて苦難の道を通らせることがあるのです。そこでこそ私たちは自分の限界を思い知り、本当に信頼できる方を信じる者とされ、真の平安と力が与えられていくのです。聖書が語る信仰は本当に信頼できる方を正しく信頼することだからですね。すべてのことに主権を持つ神様に信頼を置くとき、私たちもまた人生の苦難や荒波の中で「主の山には備えがある」すなわちアドナイ・イルエを体験することができるのです。
 
 聖書のことば

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
      新約聖書 コリント 第一の手紙 10章13節

 (PBA制作「世の光」2014.9.12放送でのお話しより)

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■キリストの権威 / 福井 誠

2014年09月11日 | Weblog
2014/9/11放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「キリストの権威」です。それでは黙示録12章10節から読んでみましょう。

 「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

 12章から新しいキャラ(登場人物)が登場します。一人の女、赤い竜、来週は海の獣と地の獣が出てきますね。大まかに四つの役者が登場しますが、それぞれ何を意味し、繰り広げられるドラマにどんな意味があるのか、押さえたいところですねえ。

 まず一人の女、この女は太陽を着て月を足の下に踏んでいました。旧約聖書では太陽の光は神の栄光を表す真のイスラエルの象徴です。月は暗黒の支配者。それを足の下に踏む。つまり真のイスラエルが暗黒に打ち買ったことを意味していますねえ。

 で、この女性は「身ごもっていた」とあります。簡単に言えば真のイスラエル人たちの祈りの中に約束のメシヤが生まれたということです。

 次に竜。ヨハネはこれを簡単に説明しています。つまり人類の歴史の初めにアダムとエバを惑わし堕落に至らせたあの古い蛇・サタンだ、と。大切なのは天で戦いが起こってこの竜が敗北し地上に投げ落とされたことです。彼らは告発者とも呼ばれていますね。つまりあらゆる難癖をつけて人を訴えて神の救いの恵みを人が受けることのないように邪魔をする存在でした。

 その悪魔が、天にいられなくなったばかりか、自分の時の短いことを知って激しく怒り、地上で力の限り暗躍して女を追求する。つまりキリストを中心とする真のイスラエルである教会を苦しみようとしているという訳です。

 しかし教会は守られるのだというメッセージがここにあります。ローマ帝国の迫害の最中にあったクリスチャンたちはこのドラマを読みながら、確かに人の力を超えた悪魔的な力がうごめいているとしてもそこから守られるのだ、と考えたことでしょう。私たちの苦難に対しても同様のことが言えます。どんな時も神の守りに信頼して歩ませていただきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2014.9.11放送でのお話より )

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■ヨセフと兄弟一族 / 板倉邦雄

2014年09月10日 | Weblog
2014/9/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「ヨセフと兄弟一族」という題でお話ししましょう。創世記の連続ラジオメッセージも今日が最後になりました。特に後半のヨセフの生涯はラジオを聴いています皆さんに主人公のヨセフあるいは父ヤコブそして兄弟たちになってもらえたらと願い、話しました。そしてそのような様々な人間模様の中に生きて働いておられる神様を浮き彫りにしたかったのです。

 さて創世記の最後はヨセフと兄弟一族を描いて終わります。こうしてヨセフと兄弟一族はそのままずっとエジプトに住み付きました。聖書の記述ですと、400年あるいは430年と言われています。そしてヨセフは死んだ時は110歳でした。長生きしたので次男 エフライムの子どもたちばかりか長男マナセの子どもたちの顔も見ることができました。若き頃からの波瀾万丈の生涯に比べますと晩年のヨセフは穏やかな日々のようです。

 ある人が(言った)、人生には悲しみのバケツ一杯と喜びのバケツ一杯とをすべての人に神様はお与えになっている、という意味のことばを聞いたことがあります。本当なんですねえ。

 そして臨終においてヨセフは兄弟たちに遺言しました。「もうじき私は死にます。けれどもイスラエル人はこのままでは終わりません。必ずふるさとカナンへ帰れます。神様がアブラハム、イサク、ヤコブの子孫に与えると約束した土地に連れ帰ってくださるのです。」 この後、兄弟たちに約束の地カナンへ帰る暁には自分の遺体を必ず運び帰るように誓わせました。こうしてヨセフは110歳で死にました。

 さてヨセフの生涯はどうでしたか? また創世記に登場した人々はどうでしたか? 特にアブラハム、イサク、ヤコブという人物たちです。ヨセフを含めて個性的で弱さを持った人たちでしたえ。だからこそ彼らには創造と摂理の神様、そして救済して贖ってくださる神様への信仰が必要だったのです。

 聖書のことばです。
信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。」   ヘブル人への手紙 11章22節 (口語訳聖書)

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■わたしの羊を牧しなさい / 関根弘興

2014年09月08日 | Weblog
2014/9/8放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは十字架につけられ、三日目に復活なさいました。復活されたイエス様は弟子たちに現れ、ペテロにこう言われました。「あなたはわたしを愛しますか?」 そしてイエス様はこのペテロに、「わたしの羊を牧しなさい。」と言われ、新しい使命をお与えになったんです。イエス様はご自分を三度も否んだペテロを見捨てることはしませんでした。その傷を癒し、新しい使命に生きることができようにしてくださったんですね。

 イエス様がペテロに与えられた使命は「わたしの羊を牧しなさい。」というものでした。どういう意味でしょう。「わたしの羊」というのはイエス・キリストを信じ従う人々のことですね。ではペテロだけがすべての人を牧する使命を与えられたということなんでしょうか。

 ヨハネの福音書の10章でイエス様は、イエス様ご自身が羊たちを守り導く羊飼いである、と言っておられます。ですからペテロも他の人々も同じイエス様によって養われる羊の一人です。それではイエス様はペテロに「わたしの羊を牧しなさい。」と言われたのはどういうことなんでしょうか。それは「わたしを信じる人々を助ける働きをしなさい。わたしを信じる人々の群れのリーダーとして働きなさいね。」とペテロに使命を与えた訳です。それはペテロだけではなく、他の弟子たちにも同じ使命を与えられたんですねえ。ですから彼らは全世界に出て行った訳です。

 ぜひ知ってください。私たちはみんなイエス様と言う羊飼いに導かれる羊です。そして一人ひとりにそれぞれの使命や役割というものが与えられているということです。

  パウロはたくさんの手紙を色々な教会に書き送りましたが、その中で彼は、「ある人は使徒、預言者、伝道者、牧師、教師、それぞれに使命が与えられてるんだ」( エペソ 4章11節参照)と書いたんですねえ。そして「一人ひとりはイエス・キリストの身体の一員なのだ」(参照 ローマ 12章4-5節、18節、27節、エペソ 5章30節)と書いたんです。つまり私たちは何ができるできないにかかわらず、一人ひとりがキリストの身体の大切な大切な器官であり、役割は違うかもしれませんが、イエス様の身体の一部として栄養を受け、また栄養を運ぶ者として生かされてるんだということなんですね。


 イエス様はペテロに新しい使命を与えられました。そして私たち一人ひとりにもイエス様は大切な使命を与えてくださいます。それは聖書の約束を受け取り分かち合って生きると言う使命です。イエス様の恵みを今日も深く味わいながら過ごしていきましょう。

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■罪の世にある信仰 / 羽鳥頼和

2014年09月06日 | Weblog
2014/9/6放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は旧約聖書のサムエル記第2の21章からお話をします。

 旧約時代のイスラエルで3年間にわたる飢饉があった時のことです。ダビデ王は飢饉のことで神様の御心を伺うために祈りました。すると神様は前の王サウルが犯した罪のことを教えられました。その罪とはサウル王がギブオン人を殺してしまったことでした。

 ギブオン人はその昔イスラエル人と友好関係を結んでいたのです。ところがサウルがそれを一方的に破り、彼らを打ち殺してしまったのです。ダビデはギブオン人の所へ行き、謝罪してどんな償いをしたらよいか彼らに尋ねました。ギブオン人はサウルの一族7人を引き渡すことを要求しました。ダビデはその事を聞き、悩んだ末、7人を引き渡しました。ダビデが心をかけている者もいましたから、彼は残念に思いながら彼らを引き渡したのです。

 ギブオン人はその7人を殺してしまいます。彼らが殺されるとダビデは彼らの遺体を引き取り丁重に葬りました。この葬儀はダビデの命令によりイスラエルの人々によって執り行われました。聖書はそのあとに一言このように語っています。
 「神はこの国の祈りに心を動かされた。」(サムエル記第二 21章14節)
 その時、飢饉が止んだのでしょう。しかし聖書はそれ以上に神様を信じて正しいこと行なったダビデとイスラエルの人々の祈りが神様の心を動かしたことをはっきりと語っているのです。

 この世に生きる私たちは罪との関わりを避けることはとても難しいことです。しかし、そんな世にあって私たちはダビデのように神様を信じ続けるべきです。そしてダビデのように自分に関わる罪に気がつかされたら謝罪や償いをするようにしましょう。そしてどんな時にも正しいことをして行きましょう。

 最後に聖書を2箇所お読みします。
 テサロニケ人への手紙第一 5章15節
 「だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。

 次にヤコブの手紙 5章16節
 「義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 神様は必ず助けてくださいます。


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