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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■あなたがたは地の塩 /福井 誠

2011年04月07日 | Weblog
2011/4/7放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。 

 今日のバイブル・メッセージは「あなたがたは地の塩」です。それではマタイの福音書5章13節から読んでみましょう。

 「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

 はっきり言ってこの世の中は矛盾に満ちていると思いませんか? 悲観的な見方でしょうか。けれどもイエス様のその言動を追って行くとこの世は曲がった邪悪なもの、神を恐れないものとして見ていたことがわかりますねえ。

 しかしイエス様はその曲がった邪悪な時代について詳しく語ろうとはせず、むしろそのような邪悪な時代にあって神様を信じる人はどのように生きるべきかと言うことに注意を向けておられます。

 「あなたがたは、地の塩です。」 イエス様は「あなたがたは地の塩になる。」とは言われませんでした。はっきりと「あなたがたは、地の塩です。」と語られています。

 塩というのはその昔を、防腐剤として用いられました。漁師たちが獲れたた魚に細菌が繁殖して腐敗するのを防ぐために用いたのです。

 ということは神様を信じる人は腐敗しつつある社会への塩であるというわけですね。注意したいのはこれから塩になる、塩になっていくのだと言うのではなくて、今、塩としての役目を果たすのだということですね。

 けれども自分自身を見たら自分が地の塩であるとはとても思えないなあということもありますよね。自分はそんな完璧な人間ではない。地の塩の役目を果たせるような人間ではないと思うことはあるでしょう。

 しかし、大切なのは神様を信じている人は神様を知っているということですねえ。謙虚に自分の力をわきまえて真に正しい神様、きよい神様を指し示すことのできる人です。実に信仰を持つ素晴らしさは立派に生きていけるようになるということではなくて日々神様を指し示す生き方ができるということです。だからこそ神様を信じる人が地の塩と言われる資格もあるのです。私たちを守り祝福される神様の素晴らしさを日々指し示して生きていきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.4.7放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
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そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
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介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■はじめに、神は /板倉邦雄

2011年04月06日 | Weblog
2011/4/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。

 今日からは旧約聖書の福音書と言われています創世記からお話しします。今日の題は「はじめに神は」です。

 創世記の1章1節を読みます。「はじめに神は天と地とを創造された。」(口語訳聖書)

 この宇宙と世界とには始まりがありました。ではこの宇宙の誕生はどのようにして生じたのでしょう。そして太陽系の一つの惑星・この地球はどのようにして生まれたのでしょうか。聖書は神様がこの天と地を創造されたと宣言しています。

 さて、ある天文学者は銀河系の中にある小さな太陽系の模型作りました。太陽を中心に、すい星、金星、そして地球。火星、木星、土星、海王星、冥王星、と配置した正確な模型です。友人が訪ねてきて、「いやあ素晴らしい太陽系の模型だね、どうしたんだ? 自分で作ったのか? うまい。」 すると天文学者は答えました。「いや、偶然にできたんだよ。」 「またまた、そんな冗談言って。」 「いや、一晩寝て起きたら太陽系の模型が完成していたのさ。」・・・

 ところで、この太陽系の世界が偶然にできたと多くの人々が信じています。私たちの住む地球が1日24時間で自転しながら秒速30キロメートルの早さで大量の周りを365日かけてぶっ飛ばしているのです。宇宙服を着ることもなく重くもなく軽くもなく、私たちは自由に動いていますねえ。何と私たちは宇宙旅行をしているのです。このような秩序と正確さを持った太陽系の営みと運行が偶然にできたのでしょうか。偶然からは何ひとつ生み出すことはないし、存在しないと言うことです。偶然からは机一つ出来ないでしょう。そこには設計者と設計図そして材料が必要となります。聖書はその冒頭において、この天と地を創造された神様の存在を明らかにしています。この宇宙と地球は創造の神様の作品なのです。

 聖書のことばです。
 「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
   詩篇19篇1節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2011.4.6放送でのお話より )

 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■イエスは黙ったままで /山中直義

2011年04月05日 | Weblog
2011/4/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 神がおられるならなぜこんな悲しいことが起こるのか。神は黙ったまま答えようとしてくださらない。そう思わされる時、私たちは深い失望を味わいます。ですが沈黙はどんな雄弁にも優るということがあります。神様の沈黙はことばに言い尽くせない愛の故であるということをご一緒に考えたいと思います。

 十字架にかかられる前夜、イエス・キリストはユダヤ当局による裁判にかけられていました。その法廷のすぐそばにイエス様の弟子の一人ぺテロがこっそりと紛れ込んでいたといいます。多くの偽りの証人が次々に偽証を繰り返す中、ペテロは黙ってそれを聞いていました。あの法廷の中でペテロはただ一人、イエス様の正しさ、愛の深さを正しく証言することができた人物でした。ですが、彼は黙ったまま口を開きませんでした。口を開いてしまうことが怖かったのです。そんなペテロの思いを知っておられたイエス様ご自身も黙ったままで何もお答えにならなかったと聖書はいます。

 イエス様はなぜ沈黙されたのか。それはあのペテロに自分の弱さ・醜さ・罪の深さを気づかせるためであったといえます。イエス様が沈黙を守ってくださったからこそペテロは自分の弱さ・愚かさ・醜さに本当に気づかされることがができたのです。そしてそんな罪びとをそれでも愛し、そんな罪人を救うために十字架にかかろうとしてくださったイエス様の深い愛を知ることができたのでした。

 あなたにも神は黙ったまま何も答えようとしてくださないと感じられる時があるかもしれません。しかしその沈黙はあなたに大切なことを気づかせるための神の深い忍耐であるということを知っていただきたいと思うのです。神の沈黙にことばに言い尽くせない愛を聞き取ることができる人は本当に幸いです。神様はたとえ人に罵られても嘲られても、あなたを愛する愛を貫こうとしていてくださいます。ことばに尽くせない程の神様の愛をどうか聖書のことばにしっかりと聞き取っていただきたいと思うのです。

     (PBA制作「世の光」2011.4.5放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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■忘れよう /関根弘興

2011年04月04日 | Weblog
2011/4/4放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

新約聖書ピリピ人への手紙3章13節。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

 新約聖書の後半の手紙の多くを記したパウロは「後のものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進もう」と手紙に記しました。どうも私たちは忘れていけないものはすぐに忘れてしまい、忘れた方がいいものはいつまでも覚えているというようなそんなくせを持っています。

 忘れるという漢字は心を亡くすと書きますよね。イエス・キリストは「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6章21節)とおっしゃいました。宝というものは決して忘れることができないのですが、忘れられないというのはそこにあなたの心があるということなんですね。

 人はいろいろな宝を蓄えるのが好きです。私の子供の頃、ま、いろんなものを私は集めました。子供が自分の引き出しの中に大切にしまっている物を見ると面白いですよね。瓶の蓋とかシールとかゲームセンターのコインとか、これがなんで宝物なんだろうと思うわけですけども、子供にとってはそれは宝なんです。なぜか。そこに心を置いているからです。しかし大人になればそれらものは忘れ去られている物ばかりでしょう。なぜならそこに心がなくなるからです。

 私たちは忘れたい過去をまるで宝のように大切にしまい込んでいるということがありませんか。心をそのものから別のものに移すということをしないと忘れることができないんですねえ。

 私は高校生の時、中古のギターを持っていました。ある時、隣り町の教会の人が私のギターを見て気に入り、僕のギターと交換してくれと言ってきたんです。その人のギターは私のギターよりも大変高価なものでした。わたしはうれしくなってその人の気持ちが変わらないうちにすぐ交換してしまいました。そして古いギターのこと等すっかり忘れてしまいました。なぜなら新しいギターが手に入ったからなんです。

 私たちは過去の様々な痛みを忘れるためにその代わりに何かを得なければならないんです。何を得ればいいんでしょう。それは聖書からのイエス・キリストの励ましであり、約束のことばなんです。過去の痛みをイエス・キリストの恵みのことばと換えていくんですね。

 イエス・キリストのことば
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書 11章28節) 

 (PBA制作「世の光」2011.4.4放送でのお話しより)

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■聖書のことばが実現するために /山中直義

2011年04月02日 | Weblog
2011/4/2放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 深い挫折が新しい歩みの第一歩になることがあります。あなたは人生に訪れる挫折をどのように生かそうとしておられるでしょうか。

 イエス・キリストが十字架にかかられる前夜、イエス様の弟子たちは深い挫折を体験していました。彼らはイエス様が偉大な王となり、驚くような知恵と力をもって人々を統べ治めてくださることを期待していたのですが、その夜イエス様は弟子たちの目の前で武装した群集の手に捕えられてしまいました。自分たちの願いが実現しそうにないことを悟ると、弟子たちはみなイエス様を見つけて逃げ出してしまったと言います。願いを叶えてくれないときにはそのもとから簡単に離れ去っていく。そんな人間に対してイエス様はこうおっしゃいました。新約聖書マルコの福音書14章49節のことばです。
 「こうなったのは聖書のことばが実現するためです。

 この恐ろしく身勝手な罪の現実の中で聖書のことば、すなわち神様が願い求め語り続けてこられたことが実現するのだ、とイエス様は言われました。

 聖書に記されている神様の切なる願い、それは私たち人間の魂の救いです。自分の願いに目が奪われ、神の願いには目もくれず神なき歩みを続ける私たち。そんな私たちが自分の愚かさ、その罪の深さに気づくこと、そして神の愛に気づき、神と共に歩むようになること。それことが聖書に記されている神様の切なる願いです。そしてイエス・キリストはご自分の命まで与えてそんな救いを実現しようとしてくださったのです。

 自分の願いが実現せず、それが音を立てて崩れるとき、私たちは深い挫折を味わいます。しかしその挫折の中でこそ人の願いにはるかに優る神様の願いに思いを向けることができるのではないでしょうか。深い挫折は新しい歩みの第一歩となります。あなたの人生に神の願いが実現するために、どうか神様の切なる願い、聖書のことばに耳を傾けてください。

     (PBA制作「世の光」2011.4.2放送でのお話しより )

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■黙って、神を知る・・・ /岩井基雄

2011年04月01日 | Weblog
2011/4/1放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。 さっそくご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日も詩篇は46篇です。10節、11節をお読みします。

 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。

 この「やめよ。」ということばは、「黙って。」「静まって。」と訳すことができることばです。考えてみますと、私たちの生活には音が満ちていますよねえ。騒音とは言わなくても絶えず何かが聴こえてきます。逆に音がないと寂しくなったりするほどです。でも、本当に大切なことがらは、静かな中で考えたり思い巡らしたりしたいですよねえ。

 この詩篇は私たちに様々なことをやめて心を静め、黙って心から神様のことを考えなさいと語りかけます。しかもそれは私たちが勝手に思い描いた神様ではなく、聖書が語る、全てを創造された神様のことです。

 実はこのまことの神様の前に私たちが心を静めるときこそ私たちが本当の力と平安を受けるときなのです。なぜなら私たちはこの神様によって神様に向けて創造されたからです。

 これまで学んできた通り、この詩篇46篇は苦難や悲しみの只中にある神様の平安が詠われている詩篇です。 その平安の源は苦しみや悲しみの原因をも包む神様の主権でした。圧倒的な神様の主権を認めることこそ私たちの人生には必要なのだと聖書は語っているのです。

 そして「やめよ。」と命じられる方がいること、人間がすべてでも最高なのでもなく、人は被造物にすぎないことを認めること。そして欠けだらけの存在であることを認めること。まことに国々であがめられ、地の上で本当に礼拝されるべき主権者は、聖書が語るまことの神様であることを認めることは、何と大切なことであり、そしてそれはあなたの人生に力を豊かに与えるのです。

 もう一度10節をお読みします。
 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」 詩篇46篇10節

   (PBA制作「世の光」2011.4.1放送でのお話しより)

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