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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■天国から地獄へ

2009年11月18日 | Weblog

世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。 今日は「天国から地獄へ」という題でお話しましょう。

 聖書に「人の心の高ぶりは滅びに先立つ」ということばがあります。 風船のように膨れあがり、高ぶった総理大臣ハマンは天国から地獄へと突き落とされることになります。 宮廷勤めのユダヤ人モルデカイを亡き者にしようと立てていた計画がもろくも崩れていくのです。 旧約聖書のエステル記の続きです。

 何ということでしょう。しかしどうにもなりません、王様の命令です。自分に楯突いて目の仇と狙っていたモルデカイが王様の暗殺計画を未然に防いだ栄誉を受けることになってしまいました。 ハマン自身がしてもらえるものと思って王様に進言した方法をそのままモルデカイにしてあげるはめになったのです。 ハマンは王の衣をモルデカイに着せ、王の愛馬にまたがらせ、くつわをとって通りを牽き歩きました。 そして「陛下のお心に適い、このような栄誉を賜ったのだ」と叫び続けました。

 そのあとモルデカイは勤務に戻りましたが、収まらないのはハマンです。何とも言えない惨めな気持ちで家へ逃げ帰りました。 総理大臣のプライドはずたずたに引き裂かれてしまいました。 何はさておき、これからのことを考えなくてはなりません。 妻と取り巻き連中に事の次第を話しました。 一同は頭を抱えるばかりです。 「まずいですねえ、モルデカイがユダヤ人だと陛下に知れた以上、あいつを亡き者にする計画はおじゃんですよ。 いつまでも目の仇にしているとかえって命取りになります。」 あれこれ知恵を絞り、善後策を講じている最中、王様の使いが来て王妃エステルの設けた宴会へ出向くように急き立てました。

 さてこの夜も「天国から地獄へ」という現実があるのですね。 また逆に「地獄から天国へ」という現実もあるのです。 みなさんはどちらがいいですか? どうか「天国から地獄」ではなく、「地獄から天国」の生活を味わってください。 

 聖書に、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。
(ペテロの手紙第一 5章5節、ヤコブ4章6節参照、箴言3章34節参照 口語訳聖書)とあります。 人の前でいばりちらし高慢な人は地獄を味わい、心へりくだる謙遜な人は天国の恵みを味わうのです。

  ( PBA制作「世の光」2009.11.18放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ

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■悲しみの涙

2009年11月17日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 旧約聖書にヨブ記という書物があります。 人生の大きな苦難に遭ったヨブという人のことが記されているんです。 ヨブという人は神様の前で正しい人でした。 でも、財産を失い、子どもたちを失い、健康を失っていきました。 まるで世界中の苦しみを一人で背負ってしまったかのような状況になってしまったんです。

 ヨブの奥さんはその姿を見て、こう言いました。 「あなたはそれでも神様を信じ続けるんですか。 もう神様を呪って死になさい。」 まあ、信仰なんて持っていても何の意味もないじゃないですか、いっそ神様を呪って死になさい、って言ったんですねえ。

 しかしヨブは、「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。 私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」(ヨブ記2章10節)って言って、神様を呪うことはしませんでした。 

 ヨブはそれからどうしたでしょう。 ヨブは毎日讃美と感謝をもって過ごしていったでしょうか。 いいえ、そうではありませんでした。 それは絶望との壮絶な戦いとなっていきました。 決してきれいごとではありません。 ヨブは神様を呪うことはしませんでしたけれど、自分が生まれた日を呪うほど苦悩していきました。 あまりの苦しみに、「私なんて生まれてこなければよかった」(3章3節参照)と正直に叫びながら、「神様、私のことを理解してください」と心の思いを注ぎ出していったんです。

 ヨブはそんな中で、神様こそすべてを治め支配し、すべての創造者であることを知らされていきます。 自分には分からない知らないことがたくさんあるけれど、私の信じる神様はすべてを御存知なる全てをお造りになった創造者だ、ということを悟っていくんです。 

 私たちが大きな困難に直面した時、多くの人は、信仰なんて持っていても何の意味もない、そう考えるかもしれません。 しかし実はそんな時こそ神様の偉大さを、そして神様に人生を委ねていくことの平安を経験する機会でもあるんです。 

 詩篇の42篇という所を読みますと、悲しみの中で作者はこう語っています。 「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。」(3節)と。

 しかし同じ作者は「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。 私のいのち、神への、祈りが。」(8節)とも語っているんです。 

 どういうことかと言いますと、私たちの人生は辛い涙の毎日もあるけれど、神様はその悲しみの傍らに恵みの歌もちゃんと用意しているんですよ、と約束されているということなんですね。

 神様の前に心を注ぎ出し、あなたの痛みを悲しみを知っていただきましょう。 そして神様を信頼し、歩んでいきましょう。 

 (PBA制作「世の光」2009.11.17放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ぬくもりを求めて

2009年11月16日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 段々と寒くなってきそうで、マフラーやコートが必要な、そんな感じですねえ。 でもマフラーと言いますと、今年は何か夏でも女性の方は首に巻いてるのが目だったりしましたけれども、でもあれはなかなか体にはいいんだそうでして、夏こそかえって冷房やなんかで冷えることがあったりなんかするので首にそういうのを巻いてると体全体を暖めるって言いましょうかね、大変健康には良いということで流行ったそうなんですけれども、確かに暖かいってのはいいことだなあというふうに思いますねえ。

 いつかだいぶ前の新聞にこんな記事が出てたんですけれども、北海道の屈斜路の近くにポンポン山って呼ばれる山があるそうなんですねえ。 で、その山の表面が空洞になっているらしくて、飛び跳ねるとポンポンという音がするところからポンポン山というふうに名づけられたそうなんですね。 で、この山に、厳しい冬の間にもたくさんの虫が生息していたっていうんですねえ。 で、この辺りは火山帯で土の中は冬でも地熱でポカポカしているからって言われるんですねえ。 ですからそういうふうなもう上は雪に覆われているんですけれども、中はポカポカしているので、そこに虫が集まってきて、そしてその厳しい冬の中でもちゃんと生きることができているということなんですねえ。 あったかさってのは素晴らしいんだなあというふうに思いますねえ。 普通なら厳しい寒さの中で死に絶えるはずの虫でも地熱の暖かさのある所では生きることができるっていうことですね。

 考えてみますと私のように虫けらのような者でもこうして生きることができているのは地熱のような暖かい神様の愛があるからだなあとつくづく思うんですねえ。

 聖書には、愛というのは「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」 (ヨハネの手紙第一 4章10節)
 
 本当にだんだん何か心まで冷え込んでしまうようないろんな事件が多い最近ではありますけどねえ。 でも人々が求めているのはやっぱり暖かい愛なのではないか。 その愛はいったいどこにあるんだろうかというふうに求めていると思うんですけれども「ここに愛がある」と聖書は記しています。 その愛は神から出るのですと聖書の中に書かれています。 どうか暖かさの源である神様の愛をぜひ知っていただきたい。 そう思います。

 ( PBA制作「世の光」2009.11.16放送でのお話しより)

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■主へのささげもの

2009年11月14日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 感謝の心を持って生きるのか、それとも感謝の心を持たずに生きるのか、それによって私たちの人生、いや永遠までもが大きく変わってくると聖書は言います。 

 旧約聖書4章に、二人の兄弟が登場します。 兄の名はカイン、弟の名はアベルと言いました。 

 ある時、この二人が神様に礼拝を捧げます。 弟アベルは神様の愛・神様の恵みに心から感謝し、最高の捧げ物を捧げました。 しかし兄カインはそうではありませんでした。 捧げ物を捧げはしましたが、そこには真心からの感謝はありませんでした。 

 同じように神様に愛され同じように多くの恵みを頂いていた二人でした。 しかし兄カインは神様の恵みに目を留めようとしなかったのです。 その結果彼の心は、妬みと憎しみ、自己憐憫と不平不満の思いに支配され、とうとう弟アベルを殺害してしまったのです。これが人類最初の殺人であった、と聖書は言います。 神様への感謝を忘れた心、不平不満に満ちた心が恐ろしい結果を招いてしまったのです。

 神様への感謝を忘れずに生きる人は幸いです。 その人は良い思いで心が満たされ、喜びと平安のうちに歩むことができます。 もちろん神様に感謝していれば全てがうまくいき、いつも ○△×(※聞きわけられず)が得られるということではありません。 実際あの弟アベルは兄カインに殺害されてしまいました。 しかし感謝に満ちて歩んだアベルは、死んだ後に天の御国に行き、神様から永遠の喜びと平安をいただいて更に感謝しながら永遠に生きる者とされた、と言えます。 神様への感謝の心、それがあなたの人生、あなたの永遠を変えるのです。 

 一体どうすれば神様に感謝することができるのでしょうか。 それは神様の愛、神様の恵みに心を留める所から始まります。 聖書には、あなたに対する神様の愛、あなたに対する神様の恵みが溢れています。 どうぞ聖書を開き、神様の恵みに目を留めてください。 
 
( PBA制作「世の光」2009.11.14放送でのお話しより )


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■人生の建物が壊れても ---人生という建物

2009年11月13日 | Weblog

世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 

 突然ですが、私たちは必ず人生の終わり・死を迎えますねえ。 人生の長さや彩られ方に違いはあっても、私たちの地上の生涯の最後は死です。 それを見つめて生きることは、とても重要なことです。 聖書には、死を超えていく本当のいのちがあることを、はっきりと謳(うた)っています。

 ある時イエスは、自分を裁こうとして近づいてきたユダヤ人たちにこう語りました。 
 「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。

 それに対してユダヤ人たちはこう反論したのです。
 「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」 ヨハネの福音書 2章19節から20節
 この時ユダヤ人たちはイエスが語られた神殿をヘロデ大王が建て始めたエルサレムの神殿のことだと勘違いしました。 

 聖書はこう続いています。
 「しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。」 ヨハネの福音書 2章21節から22節

 ここでイエス・キリストは御自身のからだを「神殿」として表現されました。神の臨在を表す神殿は、神の独り子であり神御自身であるイエスにこそふさわしい表現でした。 たとえその神殿が壊されたとしても、即ち、十字架に殺され命を奪われても、主イエスは事実三日めによみがえられ、真の命と勝利が現されたのです。

 私たちの人生の土台がイエス・キリストであるということは、このイエス・キリストのよみがえりの勝利の事実に基づいているのです。 そしてたとい今、あなたの人生という建物が壊されそうでも、死の間際にいたとしても、真の命に基づく希望があなたを待っているのです。

 聖書はあなたに語っています。 
 「神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。」 第1コリント 6章14節 

 死を恐れる必要はありません。 あなたにも勝利の希望が用意されているのです。 あなたの罪のために十字架にかかり、死んでよみがえられたイエス・キリストを信じ者は、死を超える永遠のいのちを持つのです。


   (PBA制作「世の光」2009.11.13放送でのお話しより)



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■イエスによって神に近づく

2009年11月12日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「イエスによって神に近づく」です。
 
 それでは聖書の中のヘブル人への手紙7章19節から読んでみましょう。

 「----律法は何事も全うしなかったのです。---- 他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。

 聖書で律法というのは遥か3500年も昔、モーセという指導者の時代にイスラエル人に与えられた神の戒めのことです。

  「 殺してはならない。
   姦淫してはならない。
   偽ってはならない。

   ・・・・     」
という文言で知られる十戒のことである、と言った方がピーンと来る人もいるかもしれませんねえ。それら十の戒めをユダヤ人は更に詳しい戒めにして律法と呼び、日々守るように教えられました。それを守るならば神に祝福される、と信じられたからです。

 しかしどうでしょうか、実際問題、神の戒めはなかなか守れるものではありません。神の戒めを守ろうとすれば、ますます戒めを守ることのできない自分の弱さに気づかされることがあります。神に近づくどころではないのです。まして神の祝福を受けるなど、そんな資格はまったくない弱く役立たずの人間であることを思い知らされることでしょう。「律法は何事も全うしなかった」 つまり律法に神の祝福を受けさせる力などなかったということですね。

 そこで聖書は続けて言います。「さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。

 「さらにすぐれた希望」というのはキリストの十字架という希望です。キリストは私たちの罪の身代わりとして十字架上にその命を捧げられました。それは私たちがイエスの犠牲によって神の祝福を受けるためです。十字架は律法にできないことを成し遂げてくれたのです。私たちは十字架によって神に近づくことができます。そして約束された神の祝福を受け取ることができるのです。

 神の戒めに従い良い行いを積み重ねても神に近づくことはできません。しかし私たちの罪を赦す十字架によって私たちは大胆に神に近づくことができます。

 あなたも十字架を自分のものとして受け入れ、神の祝福を受けるように神に近づいてみませんか?

( PBA制作「世の光」2009.11.12放送でのお話しより )


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■寝つかれぬ夜

2009年11月11日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。
 今日は「寝つかれぬ夜」と題してお話ししましょう。 旧約聖書のエステル記の続きです。

 さて、ペルシャの王様アハシュエロスはどうしても寝つかれぬ夜がありました。
寝つかれなかった王様は、しばらく読書でもしようか、ということにしました。書庫から王国の記録文書を持ってこさせました。 読み進むうちに、ある項目に目が行きました。 門の警備に当たっていた役人の二人が企てた王様暗殺未遂事件の所です。 計画が未然に防げたのはモルデカイの手柄だ、とありました。

 王様はそばにいた者に尋ねました。
  「このモルデカイに何か褒美をとらせたかな?」
  「何もとらせてはおりません。」
  「誰か外庭で勤務についている者はおらぬか?」
 王様がこう言った時です。 例の絞首台にモルデカイを吊るす許可を得ようと、総理大臣のハマンがお城の外庭に差し掛かった所でした。 そこで家来が答えました。
  「ハマン様がお見えです。」
  「ちょうど良い。ここに呼べ。」
 ハマンが来ると王様はさっそく話を切り出しました。
  「余の目がねにかなった者にはどんな栄誉を与えたら良いものかなあ。」
 ハマンは心の内に思いました。 「きっと私のことだ。 私以外に陛下が栄誉を与えたいと思う者などいるはずがないからなあ。」
 そこでわくわくしながら意見を述べたのです。 
  「陛下着用の王衣、それに愛馬と王冠をお取り揃えてくださいませ。 そして陛下の服を着せ、愛馬に乗せ、くつわをとらせて通りを曵いていかせるのでございます。」
  「名案じゃ、名案じゃ」
 王様は思わず膝を打ちました。
  「大至急王衣を持ってこさせ、余の馬を曵いてきてその通りにお前がしてやれ。果報者は宮廷勤めのユダヤ人モルデカイだ。良いな。今言ったことをそっくりそのまま実行するのだ。」

 何ということでしょう。 大逆転です。 これを神の摂理と呼ぶのです。 神の摂理は神様を信頼し愛する者たちと共に働いています。 異教の王様に寝つけられぬ夜を与え、読書することを支配しておられました。 

 聖書のことばです。
 「すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。」                   伝道の書 3書14 節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2009.11.11放送でのお話より )

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■友から友情を

2009年11月10日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。 
 
 旧約聖書のヨブ記6章14節に、
 「落胆している者には、その友から友情を。さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。」 こういうことばが出てきます。 

 ある時、一人の方にこんな質問を投げかけたことがありました。 「あなたは人生の中で落胆した時、かたわらで励ましてくれる友だちがいますか?」 するとその男性は、「そんな友だちなんかいませんよ。 結局友だちも信用できませんからね。」 吐き捨てるように言われたんですね。 心痛むことばです。 きっと実際に友だちに裏切られたか、またはいろいろな理由で人間不信になったのかもしれませんね。 でもそんなふうにおっしゃっているその人に「それではあなたは友が必要ではありませんか」と尋ねると、「そりゃあ、いるにこしたことはないけどねえ」と答えてくれました。 

 またある方とお話しをしていると、その方がこう言われました。 「関根さん、私は自分が辛い時、自分を支えてくれた○○さんという友がいてくれたことが本当に嬉しかったんですよ。」そんな話しをしてくれました。 

 確かに先程読んだヨブ記の中にあるように、落胆している者には友からの励まし、その励ましがその人を勇気づけていくんですね。 

 新約聖書を読み私が感動する箇所の一つに、イエス・キリストが十字架につけられる直前、ゲッセマネの園という所で祈られたその記事が記されています。 あたりは真っ暗闇です。 そこにイエス様の弟子のユダという人が宗教指導者や兵隊を連れて園にやってきたんです。 何と彼は銀貨三十枚でイエス様を裏切り、イエス様を捕らえるための案内役をしていたんですね。 このユダがイエス様に近付いていくと、イエス様はユダに何と言われたと思いますか? 「ユダよ、今までお前を世話したことも忘れて裏切ったな。あとで覚えておけよ」とはイエス様は言われませんでした。 それどころかイエス様は自分を裏切った男に、「友よ」と声をかけたんです。 それはまるで「あなたは人生をやり直すチャンスがあるぞ、悔い改めのチャンスがまだあるんだぞ」と語っているかのようです。

 イエス様は「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ 15章13節)と語りました。 イエス・キリスト、この方はあなたを「友」と呼び掛けてくださる方です。 あなたはそのことを御存知ですか? イエス様はあなたに今日も、わたしはあなたを友と呼ぼう、だから一緒に人生を歩こう、と招いてくださっているんですね。

 (PBA制作「世の光」2009.11.10放送でのお話しより)

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■三流が一流?

2009年11月09日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 今日11月9日はですね、1・1・9ですね、119番の日と言われているそうなんですけれども、まああの何か1987年に消防庁が設けたらしいですけど防災の日ということですね。 で、防火に火の用心というのはつきものですけれども、火の用心というと、あの有名な短い最も短い手紙というのでありますねえ、「一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ」(※徳川家康の家臣、本多作左衛門重次が、戦場から妻に宛てて書いた手紙)ってやつですね。 短くてリズムがあってそして的を得た文章ということですね。 まあ一時日本一短い手紙とかいう本も出版されたりしましたけれども、実は聖書の中にですね、一番短い句と言われている句があるんですね。 

 で、それはヨハネの福音書の11章の35節という所なんですけれども、日本語ではちょっと長くなるんですが、英語ですとこれはジーザス(※イエス)ということばとウェプト・「泣く」ということばですね。 ですから聖書では口語訳聖書とかですと「イエスは涙を流された」というふうに訳されている訳ですね。 でも先ほど申し上げましたように英語で言うと ジーザス ウェプト これが一番(短い)。 しかしこの短いことばの中に、イエス様という方が神の子でありながら救い主である方が涙を流されたということばの中に深いそこには意味があるということですね。 

 ある人がこんなことを言ったんですが、一流の人生は三流の人だ、ということを言ってですね、何のことだろうなって思うんですけど、一つは汗を流す人って言うんですね。 口先だけじゃなくって実際に自分が行動して相手のために労を惜しまない、そういう汗を流す人。 二つめのことはもっと、血を流すというか犠牲を惜しまないという、本当に痛みを知って相手のためだったら血を流すというほどのそういう命をかけるような人生、という言い方ですね。 で、三つめが涙を流すという。 つまり三つも流す、汗を流す、血を流す、涙を流す。

  考えてみるとイエス様こそはそういう意味でその三つを流されたお方。 一流の方だったんだなあっていうふうに思うんですけどね。 で、「イエスは涙を流された」 私たちは本当に私たちのことを全部知っていてくださるそのイエス・キリストという方がいらっしゃるということは何と大きな慰めかなと思いますね。

 ( PBA制作「世の光」2009.11.9放送でのお話しより)

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■いつまでですか

2009年11月07日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 旧約聖書詩篇13篇1節にこんなことばがあります。 
 「主よ。いつまでですか。

 「いつまでですか。」 人生には時にそのように嘆かざるを得ない苦しみや悲しみがあります。 この詩篇の記者はこの短い箇所で4回もこの嘆きを繰り返しています。 長年に渡る堪え難い苦難が彼を苦しめていたのだと思います。 しかし彼はその絶望的な状況の中でも希望を失うことはありませんでした。  「主よ。いつまでですか。」 彼にはそう呼び掛けることのできる神様がいたのです。 神様の目に一番良い時に神様は自分を助け出してくださる、彼はそのことを確信していました。 

 私たちは「待つ」ということの大切さを忘れてしまいやすいものです。 あらゆる物や情報がすぐに手に入る時代になりました。 しかしその結果、待つという大切なことを忘れてしまいやすくなったのではないかと思うのです。 困難・苦難に耐えることでしか身につかない大切なものがあります。 そして私たちを深く愛していてくださる神様は時に私たちに待つことを求められます。「いつまでですか」と嘆かざるを得ない苦難の中で大切なことがらを学ぶものでありたいと願います。 「いつまでですか」と嘆かざるを得ない苦しみの中で主である神様に信頼するその幸いに目が開かれていく者でありたいと願うのです。 

 神様は沈黙しておられ、助けの手を伸ばしてくださらない。 そう感じられる時もあります。 しかしそれでもそこには私たちを愛し養おうとしていてくださる神様の愛と配慮があることを忘れないでいただきたいと思うのです。 

 「いつまでですか」 そう嘆かざるを得ない苦しみ・悲しみの中であなたは一体何を見つめ、何に希望を置いていらっしゃるでしょうか。 神様を信頼し神様に救いを呼び求める者に神様は必ず応えてくださいます。
 
 どうぞ聖書を開き、「主よ」と呼び掛ける幸いな人生を歩んでください。

  ( PBA制作「世の光」2009.11.7放送でのお話しより )


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