世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。
ヨハネの福音書15章13節
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
あなたは友人のために犠牲を払って何かをしたことがありますか? 時には話し相手になったかもしれません。 経済的な援助であったかもしれません。 たくさんの時間を友人のために費やしたかもしれません。 そしてその友人が助かり、喜び、人生を前向きに生きていくようになったらきっと、ああ犠牲を払った甲斐があった、と喜びも湧きあがるでしょう。 またあなたからの愛や援助を受けた人にとっては、あなたという存在が喜びになるでしようね。 もし命がけであなたの最善を願い、命を懸けてあなたに愛を注いでいる方がいると知ったなら、人生さえも変えてしまうことでしょうねえ。
聖書が示す神様の愛は無償の愛、無条件の愛です。 敵対している、そんな人にさえ犠牲を払う愛なんです。 驚くべきことですけれど、2000年前に来てくださったイエス様はあなたのために命をお捨てになったと聖書に記されているんです。 教会には十字架がシンボルマークとして立っていますよね。 十字架、それは処刑の道具です。 犯罪人の架けられる場所です。 人々は十字架を忌み嫌い、十字架につけられた者は神様から呪われた者で救いようのないどうしようもない人間だと考えられていました。 しかしそんな十字架にイエス・キリストは磔(はりつけ)にされたのです。 その口には何の偽りもありませんでした。 その手は病める人に差し出された手なのに十字架の上で釘づけにされました。 考えられないほどの苦しみをイエス様は黙々と耐えられ、受けられたんですね。 しかし人々から蔑(さげす)まれ十字架につけられたこのイエス様は三日めに死から復活されたまことの救い主であると聖書は断言しているんです。
私たちは正直に自分の心を見つめたらきっと恥ずかしくなり隠したくなるものがたくさんあるでしょう。 自分の心を見られたら誰も友だちになんてなってくれないんじゃないかって考えるかもしれません。 しかしイエス様は、その友のためにいのちを捨てるというこれ以上の愛はない、と言われ、私たちの罪とけがれのすべてを御自分が肩代わりし、十字架についてくださったのです。
人は命がけの愛を知り、愛されていることを知ったら心に平安が訪れます。 イエス様の命がけの愛は今日あなたに向けられていることを知っていますか? 友と呼ばれるイエス様があなたのために指し出された愛は、命がけの愛なんです。
(PBA制作「世の光」2009.11.3放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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