goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■とりなすキリスト

2009年11月19日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「とりなすキリスト」です。 それでは、聖書の中のヘブル人への手紙7章25節から読んでみましょう。

 「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

 初めて教会に訪ね、信仰を求めてくる人は大体神様を素直に信じる心を持っていることがあります。 しかし神様にキリストが加わってくると良く分からない、という人は多いのです。 

 二千年前に生きていたキリストが教祖だと言われると分かるような気もしますが、聖書はそうは教えていません。 キリストは(もともとは)人ではなく神であって、今もなお生きていて、私たちを天地創造の神に結びつける重要な働きをしていると教えられています。 よく分からないなあ、キリスト抜きに神様に直接つながれないものか、と思う人は多いでしょうね。 

 そこでこんなことを考えてみてください。 今突然死んで裁き主である神様の前に立つとしたら、どれだけの人がそこで良心の咎めもなく胸を張って立っていられることでしょうか。 よく考えてみれば人生の終わりに裁き主である神の前に立つなど恐ろしいことですね。

 ところがそこにキリストが立ってくださったらどうでしょうか。 キリストは二千年前に十字架上で私たちを罪の赦しのために犠牲となって死んでくださいました。 キリストはまず私たちに対する愛を表してくださったのです。 そのキリストが復活されて今もなお生きておられ、天において私たちのためにとりなしをしてくださっています。 キリストは永遠の神として、いつでも私たちと共にいてくださいます。

 つまり今私たちが突然天に行くようなことがあってもキリストがそこで待っていてくださるのです。 そして私たちのあらゆる過ちや愚かさについて私たちの味方となって裁き主である天の父なる神にとりなしてくださるという訳ですねえ。 ビクビクし、口ごもる私たちのためにちゃんと弁護してくださいます。 何とも心強いものです。

 誰でもキリストを信じるなら私たちの死後に不安はありません。 また今も私たちの行動はとりなされています。 そうであればこそいつでも神の前に胸を張れる正しい心で歩みたいものですね。

  (PBA制作「世の光」2009.11.19放送でのお話しより)



******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする