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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

##あのこと このこと (前半)

2005年11月20日 | Weblog


1 「わたしはあなたのことは分かってる」と言うのは
  わたしの中のあなたを追い払うこと

2 結婚は愛することを始めること
  何度も何度も繰り返し

3 結婚においては痛みはその結末として二つの可能性がある
  もし痛みを拒否すれば二人は離ればなれに
  もし痛みを受け入れ肯定すれば二人はもっと親密に

4 愛は成熟する
  相手の魅力が失せるにしたがって

5 愛は時に
  私たちを危険にさらすことで私たちをかくまう


 ウルリッヒ・シェーファー 『成長する愛』より

***

日曜日には、 ラジオ放送からではなく
こういうのを、英文から訳して掲載しています。
過去の分は カレンダーの日曜日をクリックしてみてください。
公開するのは原書の一部分となるよう過去ニケ月分程度といたします。
  

***

このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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■その人は、水路のそばに植わった木のよう

2005年11月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。
 
 東京都中野区にお住まいの岡村さんからは、旧約聖書
詩篇第1篇1節から3節までをお寄せいただきました。お読みいたしましょう。
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

 正しい者の、神にあって祝された歩みがここに書かれておりますね。信じたての頃に、この個所を読んでこのような生き方をしたいとあこがれたこのみことばを、いわゆる自分の信仰生活の目標と意識したその主の教えを喜びとして神によって育てられていきたいと思った。私はキリストにあって豊かな実を実らすクリスチャンになりたい。今もまた将来もこのことは変わりません。

 岡村さん、あなたは詩篇の1篇から3節のことばによって大きな啓発を受けたんですねえ。これはまた私の大好きな聖書のことばの一つです。この所を読んですぐ思い出すイエス・キリストのことばがあります。「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネの福音書15章4節、5節です。

 岡村さんの心の残る聖書のことば。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
詩篇1篇の3節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.11.19放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■生かされている自覚

2005年11月18日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、振り返ったら見えるものについてお話しします。まあ前に向かって進んでいくのも大切ですが、ふと立ち止まって後ろを振り返ると良く見えるもの・大切なものってありますよね。関西の落語界の大御所・露の五郎さんのお話しを伺う機会がありました。ま、その落語ではなくて、ふと立ち止まって後ろを振り向いたら大切なものが見えたっていう、そんな経験なんです。この露の五郎さん、70歳になって自分の歩んできた人生をふと立ち止まって振り返ってみた。そうしたら自分の人生は命拾いの人生だったっていうことに気がついたっていうんです。

 たとえば小学生時代に米軍の機銃掃射で隣の人が亡くなって自分が助かったてな経験とか、ま、公演中に過って舞台から転げ落ちてしまった。何と十メートルもの高さがあったのに奇跡的に足の捻挫だけで助かったってなこともあったそうです。また脳硬塞とか脳内出血に三度もかかったのに今元気になっている。ま、医者がこの年で奇跡だと言ったそうです。ま、そんな過去を振り返った時、自分は今まで自分の力・努力でやってきた、けれども何者かに生かされてきた、助けられてもきたのではないかと考えたっていうんですね。そんな時に妹さんから聖書の話しを聞き、天も地も人のいのちも造られた創造者なるお方がおられる、それがイエス様だと聞いた時、少しづつ納得がいったと言うんですね。そしてそこに心の平安また安らぎを持つことができたと言うのです。

 三千年も前ですけれどもダビデ王は自分に言い聞かせるようにこんな詩を書いています。詩篇の103篇です。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」自分の過去を振り返って神様に生かし助けられてきた、そんなことを心に留めていく時に将来に向かっても良いもので満たしてくださる神様が導いてくださるのだ、そんな期待・信頼、生きる力が湧いてくるって言うんです。こんなものを見つめて生きていきたいですね。

(PBA制作「世の光」2005.11.18放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会もPBAで紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■口から入るものと出るもの

2005年11月17日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 イエス・キリストの時代に宗教家たちのことを聖書はパリサイ人や律法学者と呼んで いたんですね。律法学者というのはモーセの十戒を中心に数多くの律法を研究している人々です。パリサイ人というのはその律法を人々に教えます。いずれも当時の権威ある人々だったんですね。その人々にイエス・キリストは偽善者呼ばわりしたんですからまあ彼らの反感を買い、ついには十字架刑へと追いやられて行く訳ですねえ。

 キリストは言われました。「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。」 つまり、神様への敬虔深さも信心深さも、口先・格好だけ、実際は神様からは遠く離れているんだって言うんですねえ。

 新約聖書マタイによる福音書の15章の11節には、こんなようなキリストのことばがあります。「口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」宗教家たちへのキリストの痛烈なことばなんです。それを聞いた弟子たちは、そのことばの意味が分らなくてですね、キリストに尋ねる訳です。すると答えられました。「口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。

 余分なことですが、この当時も水洗トイレがあったんですよ。ま、確かに口から入るもの、つまり、もし傷んでいたり悪いものを食べると、ひどい下痢や腹痛を催しますが、出てしまえば回復に向かいますよね。しかし口から出てくるものは人の心を傷つけ傷め、苦しめます。宗教家たちはこのキリストのことばを聞いて、自分たちへのあてつけのことばだと受けとめ、ま、さらに人々の前で恥をさらされたと思ったんでしょうか、まあ腹を立てたと聖書は記述しているんですねえ。

 よく相手にとんでもないことを言ってしまった時、「ごめん。腹に無かったんだよ。思ってもないようなことを言ってしまって。」なんて弁解するようなことがありますが、時には気づかないうちに相手を傷つけるようなことばを言ってしまう配慮のなさも感じる時があります。でも、どうでしょうか、本当に腹に無かったことでしょうか。思ってもみなかったことでしょうか。相手に対してあまりいい感情を持っていない場合、やはり内から出てくるもんですよねえ。ましてや、相手の憎しみや怒り、妬みや嫉妬などは口から出て相手を傷めつけます。同時に、こういうものというのは両刃の剣なんですね。自分も傷めつけるんですね。聖書では私たちの内にキリストを住まわせなさいと強調しています。キリストがお住みになると、あなたから出てくるものは素晴らしいものに違いありませんよ。

  (PBA制作「世の光」2005.11.17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせて日曜日の朝、教会に行ってみましょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■道をまっすぐにする

2005年11月16日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。長野県とおみ市にお住まいの清水さんからいただきました。

 電話世の光で私のささやかな証しをお用いいただきましてまことにありがとうございました。友達にも知らせました所、大変喜んで、これから聞くことにしますとの事。どうぞこれからも宜しく。
 
 清水さん、ありがとうございました。さあ今日の神の知恵のことばです。今日は箴言の3章5節、6節をお読みいたします。
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 私はこのことばを自分の生涯の道しるべとしております。Trust and obey (トラスト・アンド・オベイ「信頼して従え」)、いつも私の人生の節目節目に語りかけてくる神のことばの一つです。神様こそ頼りがいのある唯一の知恵と力のお方です。神はその知恵を、神を見上げ神に拠り頼み信じて従う者にくださいます。神様から知恵を戴くとしたら、私は神様につながりのある者でなければなりません。神なしに人生の道を辿る者であってはなりません。どんな所でもいかなる時でも、神を神として認め、神様を見つめて従おうとする者でなければなりません。自分の知恵に頼る者であってはならないのです。

 あの何でも知っていた知恵者のソロモンは言いました。「しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。」とんでもない。ソロモンは大人で知識豊かな人でした。その彼は神様にこう申しあげたのです。

 神様から知恵を受ける条件は、「自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、神様はあなたの道をまっすぐにされる。」

 聖書のことば。
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 旧約聖書箴言3章5節、6節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.11.16放送でのお話しより )

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■やみにかがやく光

2005年11月15日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日もヨハネの福音書の1章の中のことばを紹介しましょう。
やみは光に打ち勝たなかった。」ヨハネの福音書1章5節。

 もう来月になるとクリスマスの時期ですよねえ。クリスマスにはクリスマスツリーを飾り、また玄関にはリースを飾る家もありますよね。キリスト教会では、よくキャンドルサービスをします。キャンドル・ろうそくの炎を見ているだけで不思議と心が慰められる、そんな経験をあなたもお持ちではないでしょうか。一つ一つのキャンドルに火が灯されていくと、暗い部屋が暖かく柔らかな光で満ちていきますよね。あのキャンドルの光は暗闇を照らすイエス・キリストの姿を象徴しているんですね。右を向いても左を向いても真っ暗闇じゃござんせんかというフレーズが昔、はやりましたが、イエス・キリストは人の光、あなたの人生を照らす光として来てくださいました。この光は暗闇を照らし出す光なんです。

 しばらく前ですが、友人と近くの山にハイキングに行きました。秋の紅葉を楽しみながらハイキングを楽しみ、その道の途中ですが、長いトンネルを通ることになりました。それは古いトンネルで、中には明かりが一つもないんです。トンネルの途中がカープしているものですから出口の明かりも見えないんですね。真っ暗闇の中で歩き出しました。すると自分がまっすぐに歩いているかどうかすら分からなくなってくるんです。しまいには壁に頭をぶつけてしまいました。そこで持っていた懐中電灯を出してスイッチを入れたんです。するとその明かりで足下を照らしながら何不自由なく進んでいくことができたんですねえ。

 イエス様はこうも言われます。「あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。」そして続けてこう言いました。「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」(ヨハネの福音書12章の46節)。私たちの人生には闇が襲うことがありますよね。自分が一体誰で、どこに行くのか、分からなくなってしまうような迷ってる状態です。あなたはどこから来てどこへ向かって行くんですか? またある人は自分から闇を愛して愛なる神様に背を向けて自分で暗闇を生み出し、自分の人生を破壊している人もいます。しかしそれは本来のあなたの生き方ではありません。イエス様は人の光、あなたの光として来てくださったんです。この光は人生を導く光です。闇を追い出す光です。希望を与える、そして救いを与える光なんですね。

 ( PBA制作「世の光」2005.11.15放送でのお話しより )

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■舌と耳

2005年11月14日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 旧約聖書の中にこういうことばがあるんですね。イザヤ書という所なんですけども、「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。神である主は、私の耳を開かれた。」というまあこういうことばなんですねえ。で、舌を神様が与えてくださって、それは何のためかというと、疲れた者をことばで励ますためだという訳ですね。そういうことばを私に教えてくださっているということなんですね。えー、舌先三寸でっていうことが言われますけれども、この舌先三寸で人を刺すこともあれば殺すこともあり、またはそのことばで励まし生かすということもある訳ですね。えー、ここにありますように「疲れた者をことばで励ますことを教え」って、本当に私たちの使う毎日のことば、舌でですねえ、人々を励ますことができて生かすことができたらどんなに素晴らしいかなというふうに思う訳ですね。

 で、その励ますことばを教えるために神は私の耳をひらいてくださったというふうに書いてあるんですね。まずうまく話し、人を励ますことばを語ることができるためには、まず耳が開かれて相手のことばを聞く、相手のいろんな気持ちを聞くということ、そして神様が私にどういうことを考えていらっしゃるのかなあ、どういうことを語れるようにすべきなのかなあっていうことについて神様のことばに耳を開いていただいて神のことばに聞くという、まず聞くことが大切なんだということですねえ。

 聖書の中にもイエス様の奇跡の中でですねえ、口のきけない、いわゆる聾唖者の方、その人をいやすことのために口をどうこうするという前にですね、耳を開いてあげたっていうことが書いてあるんですね。で、耳が開かれたらその人はやがてことばを話すことができるようになったってことがある訳ですね。で、私たちはうまく話したり良いことばでってことも大事なんですけれども、そのことの前に、耳を開いていただいて人のことばに耳を傾ける。そして何よりも神のことばに聖書を通して耳を傾けていくってそのことが大切なのかなって、まず耳が開かれて、その舌が最も生かして用いていただくということが大事だろうなと思います。

 ( PBA制作「世の光」2005.11.14放送でのお話しより )

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##二人をたたえて  (後半)

2005年11月13日 | Weblog


二人の愛は互いを縛ったりはしない
彼らはなおも自分はそうは思わないと言う自由がある
自由に叫ぶことができる
破局に至ることなく相手にうんざりすることさえ自由

彼らは勇気を出してそのように行動する
なぜなら彼らの愛には揺るぎがないから
それが彼らのよって立つ土台
それで彼らの相手に対する決断は行動やことばに依存せず
奇跡の共同体が現実のものとしようという意志が中心となる

それでいてこの揺るぎなさは
彼らを傷つかない者とする訳ではない
彼らは学んできたのだ
自分たちの愛の捉え方の中に自分たちの傷つきやすさを織り込むことを

彼らは優しくありながら強い
そして強くありながら優しい

彼らは素晴らしく分離していて
独立していて
一人でいて
個人的でいて
そしてそうであることによって
自分たちの人生をそんなにも豊かなものとして一緒に過ごせるのだ

 ウルリッヒ・シェーファー 『成長する愛』より

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■強くあれ。雄々しくあれ。

2005年11月12日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ今日の世の光、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。
 
 神奈川県川崎市にお住まいの横永さんは旧約聖書ヨシュア記1章9節のことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。

 私が落ち込んでいた時に礼拝の中でとりあげられた聖句です。強くあれ。恐れてはならない。あなたの神、主があなたとともにあるからである。力強い神様がいつも私と共にいてくださるということを感じました。

 横永さん、簡潔にあなたの心に残る聖書のことばをお送りくださりありがとうございました。

 お住まいの多摩区中野島にある教会に私は何回かお招きを受けてまいりました。神様のおことば、聖書のことばというものは、よく心の中にしっかり残るものですねえ。私もこのヨシュア記の1章のことばはようく覚えていて、いつも口ずさむことばです。


 イスラエルの老指導者、老練なリーダー・モーセは死にました。若いヨシュアはモーセの後継者として60万人のイスラエルのリーダーとなりました。これからヨルダン川を渡って神が与えると約束されたカナンの地に踏み込もうとしていました。神様の約束の地カナン、乳と蜜のしたたる素晴らしい地でしたが、そこにはものすごい巨人や手強い敵がごまんといるのです。若いヨシュアの心は、ともすると押しつぶされそうでありました。その時、神様が若いヨシュアに言われたことばが旧約聖書ヨシュア記1章の初めに記されています。短い神様のことばの中に三回も神様は、繰り返し、強くあれ。雄々しくあれ。」とだめ押しして励ましてくださいました。私たちは神様がいつも一緒です。

 横永さんの心に残る聖書のことば。
 「強くあれ。雄々しくあれ。・・・あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」ヨシュア記1章9節のことばです。

 それではまた聞いてください。

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■価値ある資格

2005年11月11日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今は資格の時代って言われますね。大学に行きながら専門学校にも通う、そういう学生も少なくありません。ま、仕事についていてもいろんな資格を会社から取るように要求されるなんて話も聞きます。また、第二の人生・退職後のための資格を、とがんばっておられる方もおられますねえ。ま、とにかく資格の時代でございます。

 私の身近な方で、こんな方がいるんです。20年以上も海外駐在したベテラン企業戦士でした。帰国してからは東京の本社で国際部長までしている忙しさの中に、何とNHK教育大学(※放送大学?)をこの間卒業したんですねえ。カウンセリングの勉強をして退職後は少しでも何かカウンセリングで人のお役に立ちたいってがんばったんですねえ。で、よくそんな忙しい中にがんばりましたねえ、って聞きましたら、そのがんばる力があるんだって。この方は海外に行く時もいつでも二つの写真を持って歩いてる、それが自分のいつも心の支えだって言うんですね。

 一枚の写真は人工衛星から青い地球をとった写真なんです。これをいつも机の上に置く。ま、いろんな問題、いろんな混乱がある。でもこの宇宙、地球と比べると問題は小さい、やる気が起こってくるってですね。もう一枚の写真は、ゲッセマネの園で祈るキリストの姿の写真です。キリストが世界のため、自分のために祈ってくれている。そして十字架についてこんなものを罪赦し、神の子としてくださってる。そんなことを思うと心の中に新しい力が湧いてくるっていう訳です。

 この私の友人は言いました。ま、いろんな資格も大切だし、そしてまたそれが役に立つ。でも自分にとってはまあ神の国に入る資格が与えられている。これが一番だと思うんです。だからまあいろんな資格を持ってこれからいのちある限り一所懸命人のために役立ちたい、そんなふうに考えているんですよって言うんです。

 新約聖書のヨハネの福音書1章12節にあるこばです。
この方(キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 いろんな資格も必要ですけど、こんな、キリストを信じて神の国に入る資格を心の内にしっかり持つ、新しい生きる力の泉だと思います。

(PBA制作「世の光」2005.11.11放送でのお話しより )

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