世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
えー、初めから個人的なお話しで申し訳ないんですけれども、私の父がですねえ息を引き取るそれこそ1、2分前に、意識があったかどうかは分らないような中で、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」と言って息を引き取ったんですねえ。正直な所すごいなあと思って、自分がはたしてそういうふうな時になった時にどういうふうにその生涯を閉じるのかなあって思わされるんですけれども、
実はこのことばはヨブという人が言ったことばなんですねえ。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」っていう(ことば)。このヨブという人は聖書を見ますとですね、羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭というふうに、もう大富豪だった訳なんですね。子供も十人いました。それがある時、敵の襲来を受けて全部失ってしまったんですねえ。その時に本当にこれはョブにとって大きな出来事であった訳ですけれども、しかしその時にですね、ヨブが、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」っていう本当に普通の人ではとても言えないようなことを彼は言った訳なんですねえ。
ただそのヨブ記というのは長い章ですけれども最後のほうを見ますと彼が失ったものの倍のものがやがて神様によって与えられたということが出てくる訳なんですね。で、「主は与え、主は取られる。」つまり与えられたものが取られたんだから、考えてみるとプラスマイナス・ゼロだ、何も文句言うことはないじゃないのっていうふうに言えば言える訳ですけれども、しかし結果的に見ますと神様ってお方は、一旦奪うように見えても、ヨブから見ると取られるように見えても、しかしそのことを通してヨブはたくさんのことを学び、いままで自分が持っていたそういうものを全部失ったその中で神様との深い関係が生まれていってですね、ですから、取られたように見えても実は最後的には全部プラスになったんだ、ゼロではなくってプラスなんだということをこのヨブ記を見ると分る訳なんですね。私たちの人生にも何か失われるように見えることがあるとしても、でも神様はそれを必ずプラスに変えてくださる方だと信ずることができるならば幸いですねえ。
( PBA制作「世の光」2005.11.21放送でのお話しより )
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