世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
今日も最初に聖書のことばをお読みいたします。ョハネの福音書1章9節から。
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」
「すべての人を照らすまことの光」・・・一体誰のことでしょうか。今から約二千年前に来てくださったイエス・キリストのことなんですねえ。聖書が伝えるこれはビッグニュースです。この方はまことの光として来てくださいました。
この福音書が記された時代には、いろいろなまやかしの光が氾濫していました。様々な教えがあり、新しい啓示を受けたと主張する偽預言者たちも現われました。人々を混乱させていったんですね。でも考えてみるとそうした状況は今もあまり変わらないかもしれませんよね。今世界を見るとどうでしょう。民族の対立があります。国と国との対立があります。また互いに人を見下し、非難と批判を繰り返している現実をあちこちで目にします。人々は光を見ないで闇ばかりを見る癖を持っているかのようです。当時の世界でも、ユダヤ人は他の人たちを見下し、ギリシャ人たちは他の国を知識を持たない劣った民族だと見下していました。闇が覆われていたんですね。
繰り返しますが、聖書は素晴らしいニョースを伝えているんです。それはすべての人を照らす光、すなわちイエス・キリストが来てくださったと伝えているんです。
でもそのニュースが伝えられた時、人々の反応はどうだったでしょう。あなたは人々から無視され拒絶された経験がありますか? そんな時あなたはどんな思いになりますか? その人たちを恨みますか? それとも怒りますか? 人の闇を照らすまことの光としてイエス・キリストはこの世に来てくださいましたが、人々の反応はどうだったのでしょう。それは大変冷たいものでした。拒否され、無視され、受け入れようとしない態度、いや知ろうともしない態度だったのです。
マザー・テレサは、愛の反対語は憎しみではなく無関心だと言ったそうですが、二千年前にイエス・キリストが来られた時、やはりこの無関心が漂っていました。心の闇を取り除き、命を与えることのできるイエス・キリストに人々は無関心だったんです。自分さえ良ければいいではないかという心がいっぱいだったんですね。人々はイエス・キリストに無関心でした。でもキリストは人々を愛さずにはいられない方だったんです。そして今でもこのキリストのまことの光はあなたに注がれているんですよ。
( PBA制作「世の光」2005.11.29放送でのお話しより )
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