♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■キリストを信じることによって / 福井 誠

2018年04月25日 | Weblog
2018/3/21放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「キリストを信じることによって」です。ガラテヤ人への手紙 2章16節から読んでみましょう。

 「しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。」(新改訳2017)

ここで律法ということばが出てきます。普通、律法というと旧約聖書、十戒、そんなイメージでとらえる人は多いでしょうね。約30年前にもなると思いますが、敬和大学の学長をしている山田耕太という先生が翻訳されたジェームズ・ダンの「新約学の新しい視点」という本が紹介されて、パウロが語る律法についてキリスト教会でも改めて理解が進んだところがあるように思います。つまり聖書では「先祖の言い伝え」という言い方がありますが、当時のユダヤ人は十戒を守るために更に細かく割礼やら手洗いの儀式、安息日の生活のあり方などを規定したいわゆる生活規範集のようなものを別に持っていて、それを守ることに熱心だったんですね。確かにパウロのみならずイエス様もそういう先祖の言い伝えをモーセの十戒よりも優先させ大事にするユダヤ人の問題点を指摘しています。ただ問題は、新しくイエスを信じ新しくクリスチャンになったユダヤ人がそういう古い宗教感覚や先祖の言い伝えを厳しく守る生活からなかなか解放されず、自分にも他人にも批判的な目を向けていたことです。そこでパウロは、神との関係に入る、つまり救われるために必要なことはイエス・キリストが十字架上ですべてしてくださったその事を信じるだけで十分なのだと教えています。私たちはキリスを信じる信仰によって神に義と認められる、つまり愛されるものとして受け入れられているのだと言うわけですね。

 私はこれだけのことをしている、だから神様は愛し祝福してくださるだろう、という感覚の信仰は、パウロに批判されたユダヤ人の信仰のあり方と同じです。神はキリストにあって既にあなたを認め、愛しておられます。それが本当に分るなら私たちの心には力が溢れて自然に新しい人生を歩み始めることでしょう。信じる者が救われるのです

(PBA制作「世の光」2018.3.21放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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