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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私を思い出してください / 板倉邦雄

2018年04月03日 | Weblog
2018/2/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「私を思い出してください」という題でお話しします。

 すべての人はやがて人生の終末である死を迎えることでしょう。その時どのような最後のことばを語るかは一人ひとり異なることでしょうねえ。詩人のゲーテの臨終のことばは、「もっと光を」でした。

 さて十字架にかけられた人は三人でした。その内の一人がイエス様に向かって言いました。「あんたはキリスト・救世主ではないのかよー。それなら自分を救って、また二人を救ったらどうなんだ」と悪態を言い続けたのです。するともう一人の犯罪人が彼をたしなめるように言いました。悪党の仲間だったかもしれません。「お前は同じ刑罰を受けていながら神を畏れないのか。俺たちお互いは自分のやったことの報いを受けているのだからこうなったのは当然だ。しかしこの方は何も悪いことをしたのではない。」 そしてイエス様の方に顔を向け、激痛の中から言いました。「イエス様、あなたが神の国の権威をもって王様としてこの地上においでになる時にはこの私を思い出してください。」 (ルカ23章42節参照) するとイエス様は、この右側の犯罪人に約束しました。「よくあなたに言っておきます。あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」 (ルカ23章43節参照)

 パラダイスとは王宮の「庭園」の意味です。そこから「楽園」となり、「天国」の意味を持つようになりました。この世で悪行三昧を尽くして当然の十字架刑になった犯罪人は人生の最後の最後でイエス様に出会いました。そして神への恐れとイエス様への信仰が与えられて祈ったのです。「こんな私を思い出してください。」 「あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」 私たちの人生はイエス様の十字架を中心にして二つに分かれているのではないでしょうか。神を呪い、自分の人生を呪い、人に悪態を言いながら終末を迎えるか、それとも神への悔い改めとイエス様への信仰による永遠の安らぎのパラダイスへの道か、そのどちらかなのです。私の人生の最後の祈りも、「イエス様、私を思い出してください。」という祈りでありたいのです。

  (PBA制作「世の光」2018.2.27放送でのお話より )

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