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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■目をさまして / 福井 誠

2014年10月09日 | Weblog
2014/10/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「目をさまして」です。それではヨハネの黙示録16章15節から読んでみましょう。

 「 見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。

 この16章からまた新しい災いのメッセージが始まります。これまで続けて聞いて来られた方はヨハネの黙示録には災いのメッセージが三種類のイメージで繰り返されていることに気づかれると思います。最初は七つのラッパの災い。ラッパが一つ二つと鳴り響くたびに災いが起こっています。次に七つの巻物の災い。巻物が一つ二つと開かれるたびに災いが起こります。今日の箇所では七つの鉢の災いが描かれています。一つ二つと鉢がぶちまけられるたびに災いが起こっていますねえ。

 多くの人はこの3種類の災いを読みながらよく分からないなあと漠然と読み流してしまいますが、実はこれらはみな同じことを言っているのです。テレビドラマで最初に主題歌と共に番組内容が予告され、次に本編が始まり、最後にエンディングのテーマと共に鍵となる場面が繰り返されるのと似ています。終末に近づく地球上に起こる戦争・殺戮・疫病・自然災害を様々な角度から象徴的に描いているのですね。

 大切なのは黙示録は、そのような終末の時がいつであるか、そういうことについては触れていないことです。何年何月何日にそんなことが起こると言うようなことは一切言っていません。むしろそれは目を覚ましていれば分ることだと言います。つまり皆さんも日常生活の中で経験していると思うのですが、夕方の終業時間が近くなると、そろそろ終業の鐘が鳴るなと、ふと感じることがありますが、それと同じです。

 また「 裸で歩く恥を人に見られないように 」しなさいと言います。有名な哲学者カントは、「もし神と来世の希望がなければ」と切り出して、「神様の終末の裁きがなければ、道徳そのものが成り立たない」と言いました。神の裁きは神の身勝手な独断的な思惑ではなく正義の現れです。その時には皆の心の内が裁かれるのです。だからこそ心の恥が表わされないようにしなさい、と警告されます。

 罪を赦す主イエスを信じ 、イエスに心を清められた歩みへと導かれたいものですね。

(PBA制作「世の光」2014.10.9放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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