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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■父の遺言 / 板倉邦雄

2014年08月27日 | Weblog
2014/8/27放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「父の遺言」という題でお話ししましょう。

 通常、「遺言」と言いますと、財産の遺言になるわけですが、父ヤコブの遺言は埋葬に関する遺言でした。死期の迫った父ヤコブは、12人の息子全員に祝福を与えました。それからこう付け加えました。「わしはじき死ぬ。そうしたら故郷のカナンの地に葬ってくれ。お前たちのひい爺さんのアブラハムが墓地にしようとヘテ人から買ったあの土地だ。それ以来代々一族の墓として使われてきた。わしも妻のレアを葬った。いいな。かならずあそこへ葬ってくれ。」 そう言い終わるとヤコブは息を引き取りました。ヤコブ147歳、波乱万丈の生涯でした。

 それにしても死と埋葬ということを聖書はいかに大事にしているかということでしょうねえ。なぜなら、「死」とは生きたことの証明なのです。しかも埋葬は生きた事の記念碑ではないでしょうか。ひい爺さんのアブラハムが土地の財産取得よりも妻のために墓を購入したことからも分りますねえ。ですから死んだらどうでもいい、なんとでもしてくれ、その辺に捨ててくれ、などという考え方は聖書的ではないということです。

 聖書は死と埋葬は私たちの人生に於いて大事なこととして扱っているのです。イエス様も十字架刑という犯罪者の一人として死にました。しかし、新しい墓地に葬られました。死人の復活はその墓地で起こったのです。

 さて、エジプトの国でも喪に服したあと、父ヤコブの遺言通りヨセフは王様の許可を得て父の遺体をマクペラの墓地に葬ったのです。その後ヨセフは兄弟や葬儀のために同行した人達全員とエジプトへ帰りました。

 最後にキリスト教の葬儀で大事なことを二つ申し上げたいと思います。一つは、私たちは葬儀において死者と共に神様に礼拝をささげます。なぜなら生きている人も死んだ人も神様の支配の中にあるからです。もう一つは、葬儀は死者のためではなく残された遺族の慰めと励ましのために行われていると言うことです。

 (PBA制作「世の光」2014.8.27放送でのお話より )

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