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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■人に仕えることを / 板倉邦雄

2014年08月13日 | Weblog
2014/8/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「人に仕えることを」という題でお話ししましょう。

 人に仕えることはとても難しいことです。人に仕えられることは誰もが望んでいることですね。ヤコブの12人の息子たちへの父ヤコブのことば
は続きます。

 「ゼブルンは海のそばに住み、港は船でにぎわい、境界線はシドンにまで及ぶ。」(創世記 49章13節 参照)

 ゼブルンの子孫たちは約束の地で地中海の沿岸に住むようになります。そして漁業を営む人々となるのです。港は船でにぎわう港町に発展し、境界線は広がっていくのでしょう。

 「ダンは他の部族と同じように自分の部族を治める。その数は少なくとも、小道を這い回る蛇のように馬のかかとに噛みつき、乗り手を落とす。神様の救いは確実だ。」
(創世記 49章16-17節 参照)

 「ガドは強盗の一団に襲われる。だが奪い取るのはガドの方で、敵をさんざん追い散らす。」(創世記 49章19節 参照)
 
 「では、イッサカルはたくましいろばだ。鞍袋の間にうずくまって休む。美しい田園、住みよい土地を見た時、彼は肩に食い込む重い荷をも厭わず、人に仕えることを辞さない。」(創世記 49章14節 参照)

 さて、イッサカル民族はたくましいろばに喩えられます。ろばは重い荷物を背負って黙々と人に仕える動物ですね。イッサカル民族は将来そのような人々になると言うのです。鞍袋の間にうずくまって休む旅人のたくましさを持っていました。そして美しい田園、住みよい土地を発見しますと、その地を開拓する精神をもって、彼は肩に食い込む重荷をも厭わず、人に仕えることを辞さないのです。

 さて、ハンカチになりたい人は居ても、雑巾になれる人は少ない。ハンセン病の人と共に生きた河野 進というキリスト教の牧師は次のような詩を書きました。

   『雑巾』

 困った時に思い出され 用が済めばすぐ忘れられる雑巾
 台所の隅に小さくなり 報いを知らず 朝も夜も喜んで仕える 雑巾になりたい


 イエス様のことばです。

 「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであ・・・る。
              マルコの福音書10章45節


 (PBA制作「世の光」2014.8.13放送でのお話より )

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