2012/5/7放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
新約聖書ローマ人への手紙の12章15節のことばを今日は最初に紹介しましょう。
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」
これは分かち合うことによって味わうことのできる祝福というものを教えているんですねえ。私のものは私のもの、あんたのものも私のもの、ま、こういう発想で生きていると人は離れていきます。何でも自分のものにしようとすると却って大切な物を失う人生になってしまうんですね。でもそんな生き方ではなくて互いの喜びや悲しみを一緒に分かち合うことのできる仲間として共に行けたら素晴らしいことですよね。
ところでこの「泣く者と共に泣く」というのは割合に簡単にできるんですが「喜ぶ者と共に喜ぶ」というのは意外と難しいんですね。私たちは人が喜んでいるのを見るとすぐに妬みやひがみが出てきて素直に喜べないことがあるからです。誰かが成功していると、思わず、なんであの人が成功しているんですか、私の方が勉強ができたのに、とかね。私の方が一生懸命やったのになどと思って、素直に喜べないことがあるわけです。
ルカの福音書の15章というところにイエス・キリストがお話しになった大変有名な放蕩息子のたとえ話というのがあります。ある人に息子が二人ありました。弟息子は財産を分けてもらい遠い国に行き、そこで湯水のように財産を使い果たしてしまうんです。するとその国に飢饉が起り、彼は食べるにも困るようになってしまいました。まあ家畜のエサで飢えをしのぐほどみじめな状態になってしまったんですね。そんなとき彼は、「そうだ、お父さんの所に帰ろう。お父さんの所にはパンがあり余っているではないか。心からお父さんにお詫びをして雇い人の一人としてもらおう。」 そのように考えて帰っていくんですね。すると父親は息子を抱き締めて、「みんな喜んでくれ。死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」と言って祝宴を始めたんです。でも喜べない者がいました。それは兄息子だったんです。彼は、「弟はさんざん自分勝手な事をしたあげく帰ってきたんだ。よくもおめおめと帰って来られたもんだ。」 まあ、そう思うと腹が立ってしょうがないんですね。父親の喜びに水を注すかのようなことばを語っていきました。
今日、私はあなたに伝えたいんです。どんな人生であっても、もう一度帰る場所があるということ。もう一度やり直すことができるということです。人々はいろんなことを言うかもしれません。でもあなたを愛しあなたを待っていてくださる神様がいてくださることを、そしてそのあなたを大いに喜んでくださる神様がいることを知って頂きたいんです。私たちの神様はあなたが神様を信頼し生きることを心から喜び、そしてあなたを待っていてくださるんです。
(PBA制作「世の光」2012.5.7放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
新約聖書ローマ人への手紙の12章15節のことばを今日は最初に紹介しましょう。
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」
これは分かち合うことによって味わうことのできる祝福というものを教えているんですねえ。私のものは私のもの、あんたのものも私のもの、ま、こういう発想で生きていると人は離れていきます。何でも自分のものにしようとすると却って大切な物を失う人生になってしまうんですね。でもそんな生き方ではなくて互いの喜びや悲しみを一緒に分かち合うことのできる仲間として共に行けたら素晴らしいことですよね。
ところでこの「泣く者と共に泣く」というのは割合に簡単にできるんですが「喜ぶ者と共に喜ぶ」というのは意外と難しいんですね。私たちは人が喜んでいるのを見るとすぐに妬みやひがみが出てきて素直に喜べないことがあるからです。誰かが成功していると、思わず、なんであの人が成功しているんですか、私の方が勉強ができたのに、とかね。私の方が一生懸命やったのになどと思って、素直に喜べないことがあるわけです。
ルカの福音書の15章というところにイエス・キリストがお話しになった大変有名な放蕩息子のたとえ話というのがあります。ある人に息子が二人ありました。弟息子は財産を分けてもらい遠い国に行き、そこで湯水のように財産を使い果たしてしまうんです。するとその国に飢饉が起り、彼は食べるにも困るようになってしまいました。まあ家畜のエサで飢えをしのぐほどみじめな状態になってしまったんですね。そんなとき彼は、「そうだ、お父さんの所に帰ろう。お父さんの所にはパンがあり余っているではないか。心からお父さんにお詫びをして雇い人の一人としてもらおう。」 そのように考えて帰っていくんですね。すると父親は息子を抱き締めて、「みんな喜んでくれ。死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」と言って祝宴を始めたんです。でも喜べない者がいました。それは兄息子だったんです。彼は、「弟はさんざん自分勝手な事をしたあげく帰ってきたんだ。よくもおめおめと帰って来られたもんだ。」 まあ、そう思うと腹が立ってしょうがないんですね。父親の喜びに水を注すかのようなことばを語っていきました。
今日、私はあなたに伝えたいんです。どんな人生であっても、もう一度帰る場所があるということ。もう一度やり直すことができるということです。人々はいろんなことを言うかもしれません。でもあなたを愛しあなたを待っていてくださる神様がいてくださることを、そしてそのあなたを大いに喜んでくださる神様がいることを知って頂きたいんです。私たちの神様はあなたが神様を信頼し生きることを心から喜び、そしてあなたを待っていてくださるんです。
(PBA制作「世の光」2012.5.7放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。