♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■悲しみが悔い改めを生じさせる  / 羽鳥頼和

2012年05月12日 | Weblog
2012/5/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書にエズラという人が登場します。彼は聖職者のトップである大祭司の子孫であり、神の教えである律法に通じている学者でした。彼は、イスラエルの人々に神様の掟と定めを教えるよう、と堅く決意をしていました。

 人々に教える意欲に燃えたエズラがエルサレムに行った時、そんな彼に残念な報告がされました。その報告とはイスラエルの人々の信仰堕落の実態でした。イスラエルの一般の人々だけでなく祭司やレビ人ら聖職者までもが異教の神々を信じる外国の女性と結婚をして偶像崇拝を行なっていたのです。

 この報告を聞き、エズラは愕然としてしまいました。民の罪を前にしてエズラは、私たちは罪を犯しているので誰も神様の前に立つことができません、と告白します。彼は涙を流しながら神様に祈りました。そんなエズラの所にイスラエルの内から男や女や子供たちまでもが大勢集まってきました。そして彼らもエズラのように激しく涙を流して泣いたのでした。彼らは自分たちの犯している罪を心から後悔し、悲しみました。

 この大きな悲しみはイスラエルがしなければならない事でした。自分の悪いことを後悔する悲しみ無しに救いはないのです。

 聖書に「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」(コリント人への手紙第二 7章10節)とあります。

 この「神のみこころに添った悲しみ」とはエズラたちが自分たちの罪を後悔した悲しみです。

 それに対して「世の悲しみ」とは自分のした悪いことを後悔することなく、自分の思い通りにならないことを悲しむことです。この世の悲しみは自分の罪、自分の悪を後悔することが無いので、その人を不幸にし、ついにはその人に死をもたらします。その人は晩年に自分の人生を悔やむことになります。

 しかし、自分の罪を後悔する悲しみは神様の御心にかなっているので、神様はその人に救いを与え、安心のある幸せを与えてくださいます。

 聖書のことば
 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
コリント人への手紙第二 7章10節

 ( PBA制作「世の光」2012.5.12放送でのお話より )

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