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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしについて来なさい / 福井 誠

2012年05月31日 | Weblog
2012/5/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わたしについて来なさい」です。それではマタイの福音書16章24節25節から読んでみましょう。

 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

 ラジオを聞いている皆さんの中にはもう何年も、いや何十年も聖書のお話を聞き続けてきて、聖書をよく知っているという方もいるでしょう。そこで一つ問題を出したいと思います。イエスが「わたしについてきなさい」と言ってイエスについていった人がいます。誰か一人思い浮かべられますか? そうですね、この福音書を書いたマタイですね。マタイの福音書の9章9節を読みますと、その日マタイは収税所に座っていたとあります。マタイはどうやらお金には困らない生活をしていたようです。けれどもマタイの心は満たされずどうやらこの日もぼんやりと座っていたのでしょう。

 あるお金持ちが言いました。「お金持ちはお金で人生をごまかすことができる。でも人の心にはごまかしきれない空しさがある。」と。確かにどんなにグルメ料理を楽しんでみても、どんなに海外旅行を楽しんでみても、それらが心の空洞を埋めるはかない楽しみに過ぎないと悟る時が来るものですねえ。更にお金や地位があることによって様々な面倒に巻き込まれ、人間の裏を見せられ、心の静けさを望むことがあるものですねえ。

 あとでイエスが言うように「たとい全世界を手に入れても何の得もない」(参照 マタイ16章26節)ということがあるものです。マタイもそんな心境だったのでしょう。そんなマタイにイエスは言われました。「わたしについてきなさい。」 ---はかない楽しみを求める自分を捨て、イエスにある喜びを求めてついてきなさい--- と。それは楽しみの道ではなく、むしろ茨の道、十字架の道かもしれません。しかし、自分のいのちを見いだす道だとイエスは約束するのです。

 あなたはぼんやり座っていませんか? ならばイエスに従ってみませんか? あなたが思う以上の人生が開けるからです。

  ( PBA制作「世の光」2012.5.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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