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いや、だから問題は鼻血だけじゃなくて…

2015-02-02 22:14:51 | 原発問題/一般
「鼻血は出る」と反論=「美味しんぼ」作者、単行本刊行(時事)

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 週刊「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に昨年掲載された漫画「美味(おい)しんぼ」(現在休載中)で、東京電力福島第1原発を訪れた主人公が鼻血を出す描写が批判された問題をめぐり、原作者の雁屋哲氏が近く刊行する単行本「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」(遊幻舎)で、「今の福島の環境なら鼻血は出る」と反論していることが1日分かった。

 同書は、放射線被ばくと鼻血の因果関係を「考えられない」とした環境省の見解を疑問視。研究者が行った住民調査の結果などから、福島では「多くの人が鼻血で苦しんでいる」としており、改めて議論を呼びそうだ。

 雁屋氏は福島の農漁業の現状や第1原発周辺を取材した記録にページを割く一方、内部被ばく・低線量被ばくへの懸念も表明した。「美味しんぼ」の単行本で、表現を連載時から一部修正したことについては、バッシングを受けた実在の登場人物を守り、誤解を防ぐためと説明した。

 さらに最終章では「大事なのは『土地としての福島の復興』ではなく、『福島の人たちの復興』」と強調。自身の取材に基づく見解として、住民に「自分を守るのは自分だけ。福島から逃げる勇気を持ってください」と呼び掛けている。 
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「美味しんぼ」問題で日本中が沸騰したのは昨年5月。それから9ヶ月…「まだ言っているの? この人」が率直な感想だ。

当ブログは放射能による健康被害は「起きるし、これからも起こりうる」という立場だ。放射能による健康被害を「ない」と決めつけバッシングする立場には立たないし、立てない。しかし、そんな当ブログから見ても、雁屋氏はあまりに鼻血にこだわりすぎ、というより、より正確な表現をするなら「放射能による健康被害は鼻血だけとは限らないのに、わかっていない」という思いだ。

もちろん、原発事故当初には、当ブログ管理人も鼻血と、それが原因で自主避難した人の話もたくさん聞いた。ゲマインシャフト的地域共同体が強固な形で残っている福島で、仕事も、家も、人間関係も、子どもの学校の交友関係も、親兄弟、親戚などの家族関係もすべて捨てなければならなかった自主避難者たちが、福島の何をそんなに恐れていたのかと言えば、ほとんどは鼻血だった。それも、アレルギー体質の人、特に化学物質過敏症の人には鼻血が多かった。現職の福島県郡山市議にも鼻血が止まらなかった人がいる(本人から直接聞いたのだから間違いない。それでも「そんなことがあるわけがない」と決めつけ否定する人とは、雁屋氏と逆の意味で当ブログは議論するつもりはない。そのような人に対しては、日本には信教の自由はあるから、カルト「放射能安全教」を好きに信じなさい、とだけ言っておく)。

福島県内で、鼻血があるかないか論議になったのは、当ブログの見るところ、事故から最初の半年程度だったと思う。その間に、鼻血が止まらずに恐怖を感じた人たちはほとんどが「覚悟を決めて」自主避難し、強い放射線にさらされても身体の変化を感じなかった人も「覚悟を決めて」福島に残った。こうして、鼻血問題は「個人差」であり、出る人は出るし、出ない人は出ない、で2011年が終わる頃には、福島県民の中では決着したのである。

「美味しんぼ」問題で国論が沸騰したとき、ほとんどのメディア(特にテレビ)は福島県内で「鼻血が出た人っていますか?」のようなインタビューを住民に投げかけ、それに地元住民がお決まりのように「私の周りにはいませんねぇ」と答える、というシーンが見られた。だが、すでに指摘したように、鼻血に恐怖を感じた県民は最初の半年でほとんどが避難した。その後に残った住民だけにインタビューをしたところで鼻血の証言など出るわけがない。メディアのほうもそれはわかっていて、あえて福島県内「だけ」を取材している(実際、当ブログ管理人は「鼻血が出た人がいるなら取材したいから紹介してくれ」とある在京メディアに言われ、鼻血経験者を紹介したが完全に無視された)。放射能による健康被害を何があっても認めたくない国、見せかけの「復興」だけを考えたい県、国や県と面倒を起こしたくない事なかれ主義のマスコミ、そして今まで通り、静かに暮らしたい残留県民の4者合同出来レースなのである。

私個人としては、放射能にまみれた土地で、子ども・妊婦を含めた若者に「それでもそこで暮らしなさい」とは口が裂けても言えないし、放射能の影響は累積被曝量で決まること、食品に十分気をつけたとしても、内部被曝は呼吸からが全体の半分を占めると言われていること等を踏まえれば、被曝地でできることは限られており、まもなく4年が過ぎる現時点でも、移住できる条件がある人はした方がいいとの考えは変わらない。だが最近は考えてしまう。チェルノブイリで大いに放射能汚染されたベラルーシやウクライナでも、それでも人は暮らしているのだ。当ブログが、福島県中通りからは避難・移住が必要との考えを維持しながらも、最近はその呼びかけをまったく行っていないのはこのような事情によっている。冷たいようだが、所詮その人の人生はその人のものなのだ。

福島の地元誌「政経東北」2014年12月号の社説に当たる「巻頭言」が、『県民の多くはこうした(事故の)呪いと向き合いながら、県内もしくは県外の避難先で「それでもここで生きていく」とある種の覚悟を持って暮らしているはずだ。だが、そうした感覚は県外の人に十分伝わっていないように感じるし、覚悟に対する評価も正当になされていない』と指摘していることに対しては、私も大いにうなずける。こうした感覚に対してはもっと理解があってしかるべきだし、覚悟を決めて生きている人たちに対して、移住した人には移住した人なりの、残った人には残った人なりの支援が求められているのが最近の状況なのである。避難・移住した人、帰還する人、残った人それぞれに対して等しく支援がなされるべきだが、国・県など行政の支援は残った人と帰還する人にばかり手厚く、避難・移住した人を完全に無視している点に激しい憤りを持っている、というのが当ブログの現在の基本スタンスだ(より正確に言えば、残った人・帰還する人に対する支援も、本当に住民のためになっているかはかなり疑わしい。行政の支援はほとんどが企業に対するものばかりで、相も変わらず「命より経済」が貫かれているからだ。この点に関しては、むしろ福島だけではなく日本全体の問題である)。

放射能の影響による鼻血は、どちらかといえば急性被曝に特有の症状で、放射線量が急激に上昇し、そのまま高い状態を維持した2011年春~夏頃にかけては最も憂慮すべき身体症状だった。だが、放射線量も幾分低下し、鼻血経験者の多くが最初の半年から1年くらいの間に避難していった現在、放射能による健康への影響はどちらかと言えば慢性的なものが主体になっている。倦怠感、空咳が止まらない、免疫力が落ちて風邪が治りにくい、等々。心疾患も増加すると主張する専門家もいる。だが、そうした健康被害の多くは高齢者の通常の病死や老衰と区別がつかなかったり、もともとあった病気の発生率が上がっては見たものの、それが放射能のせいかどうか判然としない、というレベルにとどまっており、もともと検証が難しいものなのである。それをいいことに、原子力ムラは放射能のせいではないと言い張り、何とか原発再稼働をもくろんでいる。福島で行われている健康調査が子どもの甲状腺がんに的を絞っているのは、この病気が子どもでは通常、100万人に1人と言われ、きわめて珍しいものであるため、増えれば容易に因果関係を推定できるからだ(逆に言えば、それすら放射能のせいではないと言い張る原子力ムラが、それ以外の病気についてどのような態度をとるかは考えるまでもないだろう)。

放射能汚染地での健康被害は、このように複雑で多岐にわたっている。原子力ムラが切り捨てて顧みない、様々な病気のほんのわずかな罹患率上昇であっても、それが放射能と関係があるのではないかと疑い、真摯に検証することがこれからの日本社会には求められる。ところが、雁屋氏がいつまでも急性被曝が問題とされていた原発事故直後(2011年春~夏)のフェーズから抜け出せず、ヒステリックな形で鼻血の議論ばかりすることが、かえって真摯な健康被害の検証を遠ざけているのではないか、という気が私はするのである。健康被害を問題にすること自体は正しいし、検証もせず「ない」と決めつける原子力ムラ直系の御用学者と「放射能安全教」信者よりは雁屋氏のほうがマシであることは疑いないが、放射能と健康被害との関係について真摯に検証したいと思っている当ブログにとって、雁屋氏のような「3周遅れでしかも木だけ見て森を見ない議論」ははっきり言って邪魔である。

いずれにせよ、当ブログにとって2015年も、原子力ムラとの妥協なき対決がスローガンである。

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