安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

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●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
月刊『住民と自治』 2022年8月号 住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

当ブログがコメント不可である理由について

2006-01-26 23:58:05 | 運営方針・お知らせ
当ブログももう開設から2週間を過ぎた。
開設時、コメントを不可にしている理由について追って説明すると言っておきながらまだだったことに気付いた。

ブログというのは、簡単に開設でき、コメントやトラックバックを通じて簡単に双方向のやりとりができるというメリットがある。
しかし一方、優秀なコメンテーターに恵まれ、活発で建設的な議論が行われていたブログ(特に議論系のもの)で、場の雰囲気や基本的なエチケットをわきまえないたったひとりの闖入者のために場が荒れ、良質なコミュニティが閉鎖されたり、閉鎖はしないまでも変質するという事態が起こるのをこれまで幾度となく見てきた。
かつての掲示板から現在のブログまで同じことが言えるが、管理人というのは強大な権力を持っているように見えて、実はその権力は大したことはないのである。

もちろん、気に入らない書き込みは片っ端から削除し、批判を受けても平然としていられるような独裁者の資質を持っている人は別だが、権力を行使することを恐ろしいと思う私のような凡人には、なかなか削除権は行使できないし、特に言論で人を集めているような議論系のブログでは、管理者が削除権を行使すること(=言論封殺)がそのブログの死を意味しかねないからなおさらのことである。
かくして、活発に議論が行われるブログほど、管理人の権限は弱まることになる。
そうなると、管理人とコメンテーターとは1人対多数になってしまい、管理人はだんだん多勢に無勢、多人数を相手に1人で闘うことを余儀なくされる。
それでも紳士的な議論が行われていればいいが、なかなかそうはなってくれないのである。荒れているブログのコメンテーターには一定の共通項があって、

1.揚げ足取りである(若しくは本質でない些末な部分を本質であるかのように論ずる)
2.印象操作を得意とする(あー言えばこー言う、こー言えばあー言うで、内容そのものよりもいかに自分が優位かを見せつけることを目的として議論をする)

…などの特徴が見られる。
正直、こういう手合いを相手にしていたら1日が100時間あっても足りないし、得られるものは精神的疲労感だけだ。

ブログ運営者の中でも賢明な人たちは、最近のこうした状況を理解しているから、次第にコメントは不可とする流れになりつつある。この流れは今後、強まることはあっても弱まることはないだろう。

最近、世の中からルールというものが失われつつあるような気がする。ネット上では特にそれが顕著であり、「何を言ってもどれだけ揚げ足を取っても構わない」のが自由な言論だと勘違いしている人が多いようにも見える。
だが、そう言った傾向は、本当の意味で自由な言論を守りたいと考える人間にとっては迷惑以外の何物でもない。自由に名を借りた無責任な言論が横行すれば「やっぱり自分の言論に責任を持つことはあいつらには無理だ」と言うことになり、その先に待っているのは「規制」つまり言論の制限である。

何を主張してももちろん構わないが、言論には責任が伴う。
言論の自由は最大限に保障された上で、各人が責任感を持って発言し議論する、という状態が社会にとって最もいいのだろうが、インターネットという媒体は、まだ登場して歴史が浅いせいか、そのあたりがまだまだ未熟であるように思う。

当ブログがコメント不可としているのは、だいたいこのような理由からである。

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