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横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

27日 観光船社長「風なかったから行けると思った」…出航強行の背景、最後まで判然とせず

2022-04-28 09:52:36 | 社会
23日昼過ぎ、ここをクリック⇒知床遊覧船のカズ1(19トン)が荒天のため行方不明になり、海上保安庁はじめ、ウトロの漁協の漁民らの協力で必死の捜索が始まりましたが、11名の死亡が確認された他、15名の行方については判らぬまま時間が経っていました。そのような中、5日ぶりに運航会社「知床遊覧船」(北海道斜里町)の桂田精一社長(58)が27日、初めて記者会見しました。
その様子は昨日の夕刻、TVニュースのlive  で放映されましたが、外部の会場の様子は映りますが、会場内では話し合い中とかで様子が判りません。
夜遅くになってから、社長が土下座を2回とか絵が流れました。どうやら同じ会場で、被害者のご遺族関係とその後の記者会見と1度ずつ2度にわたり土下座して謝罪した様です。しかし浜爺の見るところ「土下座」と呼ぶ見かけの謝罪と本当に済まないと思う「心の謝罪」に差がある様に見えました。
この事件を起こした運営会社「知床遊覧船」とその社長桂田精一氏(58)をみると、2016年頃に経営交代をし、それを機に古い社員を解雇し今回のカズ1の船長や甲板員らを新規採用し、業務の引継ぎも十分でなかった様な話は、すでに地元の漁師さんや観光船仲間或いは亡くなった船長自身が語っていました。今朝の朝刊には土下座の写真と会見が怒号に満ちた話があった他、偶然まもなく発売の週刊誌2誌の広告がこの経営者にまつわる風評をたくさん載せているのを見ました。
ここ10年かそれ以上かけて知床遊覧船の観光が自然発生的に拡大してきたのでしょうが、他の同業者も「昔からの海運会社が定期航路の業務に観光業を取り入れて運行」している様な形で無く、社長一人に個人経営に様な形で遊覧船の運行資格をある人を集め遊覧観光業をしている様で、特にこの「知床遊覧船」は経営の合理化を進め、安全点検や運行管理に手抜きが起きていたように見えます。恐らく1年の半分は風や寒さと氷で営業が出来ず、加えてここ2年程は新型コロナ感染拡大の為、観光業そのものが低調だったのだろうと思います。他の同業者が「GW明けから営業」と考えている時に、他社に先駆けて遊覧船を出している所にも、「稼ぎ優先」が伺えます。
話は変わってここ2年程では「青信号で横断歩道を渡っていても、信号待ちしていても、車に撥ねられたり、ギヤの入れ間違えで重軽傷を負う理不尽に事が多い世の中です」。従って知床岬を遊覧船で回る様な企画には「ある程度、危険が有るとの予備知識を持って行動する事」をお勧めします。
話は戻って〈やがて時間の経過と共に「被害者の保証の問題」になったとしても、この会社が十分な補償を出来るような体制(せめて対人補償保険に加入済)でも無いと、社長が自己破産して御免なさいで幕引きですよね。ぞっとします。
船体の捜索と15人の行方をまだまだやる事が残っています。
取り敢えず、亡くなった7人の方のご冥福をお祈りします。合掌

写真:記者会見の冒頭で土下座する運航会社の桂田精一社長(27日午後4時50分、北海道斜里町で)=大石健登撮影 【読売新聞社】 

読売新聞オンライン:
北海道・知床半島沖で26人が乗った観光船「KAZU I(カズワン)」が消息を絶ってから5日目。運航会社「知床遊覧船」(北海道斜里町)の桂田精一社長(58)が27日、初めて記者会見した。2時間余りに及ぶ会見で社長は土下座を繰り返したが、強風と波浪の注意報のなかで出航を強行した背景は、最後まで判然としなかった。
 桂田社長は冒頭に土下座し、「大変申し訳ございませんでした」と謝罪。注意報を知りながら出航した根拠として、行方不明となった豊田徳幸船長(54)と相談し、「海はしけておらず風もなかったから行けると判断した」と語った。
 桂田社長によると、通常は3年ほど甲板員として務めるが、豊田船長はほかのベテラン船長が推したので1年ほどで船長に起用された。「『豊田さんは素晴らしいセンスがある』と聞いていた。水上バスの運転経験もあった」と語った。
 強調したのは、出航後に海が荒れれば引き返す「条件付き運航だった」という点。「引き返すつもりだったが、判断が間違っていた」と釈明した。途中で引き返しても、乗客は一定料金を支払うことになっていた。
 知床半島西側で小型観光船を運航する4社のうち、この日に出航したのは知床遊覧船だけ。「会社を譲り受けた6年前から、この時期に運航していた」といい、「収益を優先させたのか」と追及されると、「収益は常に考えているが、そのために無理に出航させたわけではない」と否定した。
 カズワンと連絡をとるための会社事務所の無線アンテナが壊れていたことについて、桂田社長が認識したのは事故当日の朝だったという。出航の最終決定は「私の手落ち」と認めた。
 この日まで会見をしなかった理由は、「家族に誠心誠意尽くすと思っていたが、私一人ではうまく対応できなかった」とした。事故原因を問われると、沈黙の後、「私の至らなさ」と語った。
 会見に先立ち、桂田社長が乗客の家族らに経緯を説明した。出席者によると、桂田社長は土下座して謝罪し、説明資料を配ったが、家族らからは「なぜ出航したんだ」「資料だけでは納得できない」と厳しい声が上がった。説明会は紛糾し、1時間の予定が2時間余りに及んだ。
(引用終わり)

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