求心力なく、大臣辞任想定内=ミサイル警戒も関係なく―稲田氏、無言で車に・防衛省
今朝の新聞各紙は「辞任」するとあります。昨日27日夕刻安倍首相に午後防衛省を退庁した時は「個人の意向」でしたが同日夕刻安倍首相に「辞任の申し出」をして(慰留もなく)受理されたようです。
おって今日、日報問題に関する特別防衛監査の結果が出るそうです。
その前に稲田さんのこの件についての対応を思いつくままに書いておきたいと思います。
1:昨年8月頃南スーダンの派遣のPKO宿舎付近で激しい銃撃戦があったとの部隊の日報があった。
2:当初自衛隊は日報なるものは無いとしていたがその後電子データーなので消去した様な回答をした。
3:そんな返事では野党は納得せず稲田防衛相は文官統制の原則から言っても指揮下の部隊に日報を探せと命じたのは正しい。
3:その後日報は「電子データーとして自衛隊が持っていた(日報があった)」事が判った。
4:ここで稲田防衛相は「日報があったか無いか」の事実確認なのだから「有った返事すれば最低限の職務派待った尾下」はず。
5:それなのに防衛次官とか統幕超に「日報は行政文章でない。保存の義務はない。だから無かったことにしましょう」なんてふざけた官僚の解釈かやり口を安易に受け入れた事が彼女の政治的センスの欠如を物語っている。
6:もし次官等が「日報存在の事実を防衛相に隠ぺいしていた」としたら旧帝国陸軍の参謀部と同様、政治の統制を受けない軍部の暴走である。
7:辞任でなく更迭が妥当と思うがなぜ安倍首相は稲田氏をかばい続けたのか?
浜爺が思うには「日本のPKO部隊は紛争地には派遣しない」という神話に基づいた法制化で外国に派遣されている所に無理がある。
だから小泉元首相の時も「イラクで部隊のいる所は紛争地では無い」という名/迷回答がでた。
それを踏まえれば8月の銃撃戦は十分にPKO部隊の撤収に該当する事態で立ったのだろう。
そして南スーダンのPKOを美しく撤収するための手を打つ間、「紛争はない」事にしておきたかったのは安倍政権のそもそもの意向だったのであろう。
それが証拠に同地のPKO部隊は3月10日突然撤収が決まり5月には最終部隊が無事帰還した。
世間の軍隊の基準で見れば「紛争地に駐屯しているのdから自ら発砲はしなくても打たれたら応戦するのは当たり前」であって、「それが駐屯地近くで銃撃があったからと言っててしゅうしたらジャパニは腰抜けと現地人も友軍の兵士もばかにする」のは当然でしょう。でもそれが日本のPKO部隊の各なのです。
恐るべき不戦神話とメンツのせめぎあいです。
もう忘れかけていますが平成15年9月には「安保法制の一括改定(凶行採決)」がありました。
あれやこれや「日報問題」にはそれを底流とする複雑な政治的思惑が絡んでいました。
そこには今はやりの「安倍首相の心中を忖度する文官・制服組」の対応があったと思います。
そこを稲田防衛相は「赤あげて! 赤下げないで白さげない!」なんて複雑巧緻な政治力を発揮することなく無能の烙印を押されて政権を去る事になりました。
正しい事を正し区見つめれば今後の安保法制やし小さく見てもPKO部隊の派遣に「外部の紛争に対応力のある工夫」が咥えられたかもしれません。
紛争地にいないはずの部隊が「駆け付け警護」なんてとても無理ですよね。
兵隊さんが死ぬことを恐れるなら「24万三軍の兵士を海外に出さない」との神話もありです。
さあ今日の特別監査はどう報告されるでしょう??
国民の判断は来月の自民党支持率に現れます。
写真:記者に囲まれる稲田防衛相(産経)
時事通信:
稲田朋美防衛相が辞任する意向が伝えられた27日、陸上自衛隊の日報問題に揺れる防衛省内からは「辞めるのは予想通り」との声とともに、北朝鮮の弾道ミサイル発射警戒が続く中、「トップ不在でも影響ないことの証し」と冷ややかな声が聞かれた。
稲田氏は午後8時すぎ防衛省から退庁する際、記者団から辞意を問われても、無言のまま車に乗り込んだ。「立ち止まって」との呼び掛けにも対応しなかった。
ある制服組幹部は28日に日報問題の特別防衛監察の結果が出ることから、「監察結果を説明せずに投げ出すことは避けたいと考えたはずだ。結果公表と合わせて辞任が無難だろう」と淡々と話した。
陸自幹部も「日報問題だけではなく都議選での発言もあり辞任は当然。現場の隊員はそのたびに対応に追われた」と指摘。別の幹部も「部隊査閲の際の奇抜な服装や日報問題をめぐる対応で、大臣の求心力はなかった。このタイミングで辞めるのは予想通り」と言い切った。
稲田氏が辞任すると、内閣改造まで別の閣僚が防衛相を兼任するとみられる。ある防衛官僚は「北朝鮮のミサイル警戒のさなかに辞めてもいいということは、誰でもいいということにもなる」と冷ややかに話した。
(引用終わり)
今朝の新聞各紙は「辞任」するとあります。昨日27日夕刻安倍首相に午後防衛省を退庁した時は「個人の意向」でしたが同日夕刻安倍首相に「辞任の申し出」をして(慰留もなく)受理されたようです。
おって今日、日報問題に関する特別防衛監査の結果が出るそうです。
その前に稲田さんのこの件についての対応を思いつくままに書いておきたいと思います。
1:昨年8月頃南スーダンの派遣のPKO宿舎付近で激しい銃撃戦があったとの部隊の日報があった。
2:当初自衛隊は日報なるものは無いとしていたがその後電子データーなので消去した様な回答をした。
3:そんな返事では野党は納得せず稲田防衛相は文官統制の原則から言っても指揮下の部隊に日報を探せと命じたのは正しい。
3:その後日報は「電子データーとして自衛隊が持っていた(日報があった)」事が判った。
4:ここで稲田防衛相は「日報があったか無いか」の事実確認なのだから「有った返事すれば最低限の職務派待った尾下」はず。
5:それなのに防衛次官とか統幕超に「日報は行政文章でない。保存の義務はない。だから無かったことにしましょう」なんてふざけた官僚の解釈かやり口を安易に受け入れた事が彼女の政治的センスの欠如を物語っている。
6:もし次官等が「日報存在の事実を防衛相に隠ぺいしていた」としたら旧帝国陸軍の参謀部と同様、政治の統制を受けない軍部の暴走である。
7:辞任でなく更迭が妥当と思うがなぜ安倍首相は稲田氏をかばい続けたのか?
浜爺が思うには「日本のPKO部隊は紛争地には派遣しない」という神話に基づいた法制化で外国に派遣されている所に無理がある。
だから小泉元首相の時も「イラクで部隊のいる所は紛争地では無い」という名/迷回答がでた。
それを踏まえれば8月の銃撃戦は十分にPKO部隊の撤収に該当する事態で立ったのだろう。
そして南スーダンのPKOを美しく撤収するための手を打つ間、「紛争はない」事にしておきたかったのは安倍政権のそもそもの意向だったのであろう。
それが証拠に同地のPKO部隊は3月10日突然撤収が決まり5月には最終部隊が無事帰還した。
世間の軍隊の基準で見れば「紛争地に駐屯しているのdから自ら発砲はしなくても打たれたら応戦するのは当たり前」であって、「それが駐屯地近くで銃撃があったからと言っててしゅうしたらジャパニは腰抜けと現地人も友軍の兵士もばかにする」のは当然でしょう。でもそれが日本のPKO部隊の各なのです。
恐るべき不戦神話とメンツのせめぎあいです。
もう忘れかけていますが平成15年9月には「安保法制の一括改定(凶行採決)」がありました。
あれやこれや「日報問題」にはそれを底流とする複雑な政治的思惑が絡んでいました。
そこには今はやりの「安倍首相の心中を忖度する文官・制服組」の対応があったと思います。
そこを稲田防衛相は「赤あげて! 赤下げないで白さげない!」なんて複雑巧緻な政治力を発揮することなく無能の烙印を押されて政権を去る事になりました。
正しい事を正し区見つめれば今後の安保法制やし小さく見てもPKO部隊の派遣に「外部の紛争に対応力のある工夫」が咥えられたかもしれません。
紛争地にいないはずの部隊が「駆け付け警護」なんてとても無理ですよね。
兵隊さんが死ぬことを恐れるなら「24万三軍の兵士を海外に出さない」との神話もありです。
さあ今日の特別監査はどう報告されるでしょう??
国民の判断は来月の自民党支持率に現れます。
写真:記者に囲まれる稲田防衛相(産経)
時事通信:
稲田朋美防衛相が辞任する意向が伝えられた27日、陸上自衛隊の日報問題に揺れる防衛省内からは「辞めるのは予想通り」との声とともに、北朝鮮の弾道ミサイル発射警戒が続く中、「トップ不在でも影響ないことの証し」と冷ややかな声が聞かれた。
稲田氏は午後8時すぎ防衛省から退庁する際、記者団から辞意を問われても、無言のまま車に乗り込んだ。「立ち止まって」との呼び掛けにも対応しなかった。
ある制服組幹部は28日に日報問題の特別防衛監察の結果が出ることから、「監察結果を説明せずに投げ出すことは避けたいと考えたはずだ。結果公表と合わせて辞任が無難だろう」と淡々と話した。
陸自幹部も「日報問題だけではなく都議選での発言もあり辞任は当然。現場の隊員はそのたびに対応に追われた」と指摘。別の幹部も「部隊査閲の際の奇抜な服装や日報問題をめぐる対応で、大臣の求心力はなかった。このタイミングで辞めるのは予想通り」と言い切った。
稲田氏が辞任すると、内閣改造まで別の閣僚が防衛相を兼任するとみられる。ある防衛官僚は「北朝鮮のミサイル警戒のさなかに辞めてもいいということは、誰でもいいということにもなる」と冷ややかに話した。
(引用終わり)