中国、北朝鮮を無視する基地撤去論はおかしい






国の重さと市の重さを問題にしないでいいのだろうかと思う。私は、若い頃はアメリカ軍基地撤去を主張しデモにも参加した。しかし、あの頃は中国などの社会主義国家の情報はほとんど入ってこなかった。
学生のときには新聞には掲載されないソ連や中国の情報に触れることができた。そして、ベトナム戦争は北ベトナムが南北統一を掲げて南ベトナムに侵攻したこと、北の侵攻をくいとめるためにアメリカ軍が戦っていることを知った。朝鮮戦争も北朝鮮の侵略から始まった。

新聞は、アメリカ軍が沖縄に駐留している原因は中国や北朝鮮等の侵略を防ぐ目的があったことを報道しないで、基地の爆音、危険性を重大視し、基地を沖縄に押し付けていることを積極的に取り上げている。
アメリカ軍基地撤去を主張するのなら、アメリカ軍がアジアから撤退しても中国や北朝鮮の脅威は全然ないということを、堂々と主張するべきだ。

もっと私たちは中国や北朝鮮について関心を持ち、色々な角度から話し合うべきだ。アメリカ軍基地の駐留問題は県民世論が高ければ撤去すればいいというような問題ではない。アメリカ軍駐留の問題は沖縄だけの問題ではなく日本、韓国、フィリビン、台湾とも密接に関係する問題だ。普天間基地をグアムに移転するという噂が立ったとたんに韓国と台湾は軍事面の強化を図った。

軍事は軍事の効率を考えなくてはならない。アメリカ軍基地を日本全体で平等に負担するべきだという意見があるが、それは軍事の性質を無視した考えであり、そんな意見が受け入れられるはずはない。

社説は、「普天間問題の底流には、既得権益化した米軍の基地自由使用の維持に腐心する日米政府と、人権や環境保全の観点から押し付けに抗う沖縄社会との対立の構図がある」と述べているが。それはアメリカ軍の沖縄駐留問題を矮小化している。社説は中国、北朝鮮の存在を無視している。

普天間問題の底流には戦後の社会主義圏と資本主義圏との対立がある。ベトナム戦争時代は普天間基地からヘリコプターがベトナムに参戦した。また、フィリピンでの共産主義ゲリラとの戦いでも普天間基地のヘリコプター部隊は参戦した。この歴史的な過去を引きずりながら普天間基地問題はある。昔ほどの深刻な対立は薄れてきたが、尖閣の領海での事件や北朝鮮の韓国攻撃など中国、北朝鮮との緊張関係がなくなったわけではない。

現代の戦争にヘリコプターは欠かせない。だからアメリカ軍にとって沖縄にヘリコプター基地を維持させたいのだ。

共産党や社民党、社大党などの革新政党は反米主義である。革新政党は沖縄のすべてのアメリカ軍基地を撤去することを目的にしているのであり、社説が述べているような「人権や環境保全」の立場だけから反対しているわけではない。
それは普天間第二小学校を安全な場所に移転する話が出たときにあらわれている。革新政党は出て行くのは普天間基地であると主張して普天間第二小学校の移転を反対した。革新政党は子供たちの人権を守ることより、いつ実現するかわからない普天間基地撤去を主張したのだ。小学校を移転するのにかかる費用は30億円、一方普天間基地を移設するには一兆円かかるといわれている。30億円と一兆円である。どちらが移設しやすいか明らかである。
たとえ、普天間基地移設を主張するとしても、普天間移設は政治的にも予算的にも難しい問題であり、移設はいつ実現するか分からないのだから、普天間第二小学校の移転はやるべくである。
それをしないのは革新政党には子供の人権を守る思想がないからである。新聞も同様である。

この一年間で明らかになったのは県外移設が不可能であることだ。それを無視して県外移設を主張するのは異常である。社説は民主党政権はあっけなく県内移設に回帰したというが、元々実現不可能な「県外移設」を野党という無責任な立場から沖縄県民の票を欲しさ発言したことであり、鳩山前首相は首相になって初めて「県外移設」が不可能である現実を知らされたのだ。

自民党は権力の座を握るためには嘘も方便もつく政党だ。仲井間知事は当選するために「県外移設」を公約に掲げた。地方の知事だから「県外移設」を公約にすることができる。しかし、日本政府の首相は日本全体に責任を持たなければならない。日本のトップは辺野古移設しかないことを痛感せざるをえない。

よく用いられる「対米追従」という考えが間違っていたことが、祖国復帰前後のアメリカの公文書で明らかになった。日本の政治家や官僚たちは日本の利益のためにアメリカとシビアな交渉してきた。日本政府は日本の利益を守るためにアメリカと合意している。この合意を「対米追従」に思えるのは日本の利益についての考えが違うからだ。

社説は沖縄の民意を政府は黙殺するというが、普天間基地の辺野古移設は民意も考慮にいれている。むしろ、社説は国意を無視して、国意を軽視している。社説の態度は問題である。

アメリカは辺野古移設が実現するまでは普天間基地を継続使用すると宣言している。実現不可能な「県外移設」を主張し続けるということは普天間基地使用が継続されるということになる。このまま「県外移設」を主張をやりつづけるのなら、ずっと普天間基地が継続使用される可能性がある。

社説が人権主義を自認するのなら、やっぱり普天間第二小学校の移転を主張するべきだ。
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メイ氏更迭問題





バイン准教授は沖縄の基地被害を学ぶ学生グループの学習指導官である。バイン准教授は基地被害者である沖縄に同情的な目で見ている面もある。メア氏発言には反論したいが、だからといってバイン准教授に賛成することはできない。
メイ氏発言に対しての抗議の中で、学生たちの最も怒りを買ったのが「ゆすりの名人」発言だったとバイン准教授は述べているが、基地被害者である沖縄の人間を「ゆすりの名人」呼ばわりするのはひどい話である。同じアメリカ人でありながらメイ氏の発言に怒り、沖縄で学生たちが公表したのは素晴らしい行為である。

ただ、メイ氏の視点とは違うが、日米両政府がアメリカ軍の沖縄駐留をせざるを得ないことが原因で、政府が莫大なお金を沖縄に投入するのは当然であると考えていることは「ゆすり」の一種であり、最近は基地がないほうが沖縄の経済は発展するという、経済理論としては成り立たない理論を県事務局がつくったり、政府の沖縄援助はまだ足りないほうであるという理論をつくったりして、遠まわしに沖縄への援助を増やすのを要求している現実がある。ただ、沖縄に莫大な金が投入されたのは、金の一部が自民党に献金や賄賂として流れる仕組みと密接な関係があり、メイ氏のいうほど沖縄が「ゆすりの名人」ではないことは確かである。

メイ氏は沖縄県民を「怠け者」と説明したそうだ。新聞投稿では「ゆすりの名人」「怠け者」に反発する意見が多い。しかし、私はメイ氏が「怠け者」と言ったことに対して猛烈な反発をしていることに苦笑せざるをえない。
沖縄の有名な習慣に「沖縄タイム」というがある。沖縄の人間は約束した時間に平気で遅れるという意味である。つまり、沖縄の人間は時間にルーズであるということを「沖縄タイム」という。これは怠け者ということである。

東京の有名な知識人が沖縄の「なんくるないさ」は素晴らしい生き方であると誉めた。沖縄の人間は東京の人間のようにあくせくしないで、悠然と自然の流れに任せて生きている。だから沖縄は日本一長寿の県になれたのだと、東京の有名な知識人が沖縄の人間の生き方を絶賛したのだ。
沖縄の人々は「なんくるないさ」の思想を自慢するようになった。今では「なんくるないさ」は沖縄人の行き方の象徴になっている。
「なんくるないさ」を「なんとかなるさ」と日本語訳しているが、それは微妙に違っている。「なんとかなるさ」より「なるようになる」が。「なんくるないさ」に近い。

怪我をした時、手当てをしないでも自然に治癒していく。それを「なんくるのういさ」という。のういさというのは治るということである。つまり、怪我をした時、自然治癒することを「なんくる」治るというのである。昔、貧乏で薬がない貧しい農民は、子とも怪我しても治療することができないで、怪我をした箇所を清潔にして後は「なんくるのういさ」と放っておくしかできなかった。
「なんくるのういさ」と「なんくるないさ」とは、なんの努力もしなくて、自然に任せればいつかは解決するという意味である。「なんくるないさ」は怠け者の処世術と解釈できる。

甲子園春夏の大会を連覇した興南高校の我喜屋監督が最初に手がけたのは沖縄特有の「なんくるないさ」精神の排除だったと新聞に書いてあったが、「なんくるないさ」を否定し、野球部員に努力することを教えたから甲子園春夏の大会の連覇があったのだ。
ところが「ウシが行く」の著者知念ウシさんは「我喜屋監督の座右の銘『なんくるならない』は沖縄の伝統的老荘思想の『なんくるないさ』を否定したものではないだろう」と主張し、「力と気力を奪われた植民地像を甘受させられることへの拒否ではないか」とわけのわからないことを述べている。
知念ウシさんはは我喜屋監督の真意を全然理解していないし、「沖縄文化」に浮かれている知念ウシさんは「なんくるないさ」より「努力」が大事であることを見失っているのだ。そんな彼女がメア氏の怠け者発言に怒るのは滑稽である。


メア氏は更迭されたことに反発し、辞表提出した。しかし、東日本大震災が起こったために、政府の要請で連絡・調整業務を担っていたが、一段落ついたので米国務省を退職した。
佐藤氏は米政府がメア氏を更迭したのは米国が人権を尊重する民主主義国だからと説明している。しかし、指導教官のバイン准教授は、国務省関係者はメア氏の言ったことを否定はしていないだろうと述べている。もしそうであればメア氏の人種差別発言が更迭の理由ではないということになる。

アメリカ政府は、革新の稲嶺氏が名護市長になり、普天間基地の辺野古移設が困難になったことを非常に気にしている。アメリカ政府はできるだけ沖縄を刺激しないように神経を使っている。メア氏の更迭もメア氏の発言を問題したというより、メア氏の発言に沖縄が大騒ぎしたから、これ以上沖縄を刺激しないためにメア氏を更迭したというのが本当のところだろう。

沖縄の感情を刺激して普天間基地の県外移設の運動が盛り上がるのを恐れている日米政府は腫れ物に触れるような神経を使って沖縄に接している。
しかし、県外移設の運動が盛り上がっても軍事的な理由で普天間基地の県外移転はしないだろう。日米政府はじっと我慢して辺野古移設のチャンスを狙っている。それまでは普天間基地に駐留し続けるつもりだ。
それが現実だ。

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きみ想う・・・アートはいく 二百三十九~二百四十一句

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