生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「もうダメだ!」と言わないで

2011-11-18 19:45:54 | 聖書から
九州旅行から帰って来てから体調が思わしくありません。咳が出始め、その咳が10日も続くので病院へ行くと、咳喘息といわれました。

咳だけで他に症状がないので普段通りにしていましたが、ひどくなる一方で、咳き込んで眠れなくなりました。

別の病院に行って、「大事な用事があって出かけるので早く治してほしいのですが……」と言うと、「そんなすぐには治りませんよ。とくに喘息の人は、喉が敏感なので普通の人より長引きます」と言われました。

今日はレストランの個室を貸し切って家庭集会20周年記念会を行うことになっおり、また明日は東京まで行く用事があるので、咳が治まるように必死に祈りました。

そうしたら昨夜はぐっすり眠れ、朝起きると喉の奥の炎症がおさまっているような感じがしました。
今日は、家庭集会に行くことができました。家庭集会は森の中に建つ山小屋という感じのレストランで行われました。

家庭集会ではヤコブのことを学びました。

ヤコブは長子の権利を奪うため父親をだました人です。狡猾な人というイメージがありました。でも、神様は双子の兄エサウを選ばずにヤコブを選ばれました。
それはヤコブが偉かったからではありません。なぜなら、母親のおなかの中にいたときから神様はヤコブを選んでおられたからです。

ヤコブがエサウより優れていたわけではなく、また何か良い事をしたからではなかったのです。
神様はヤコブを選んだのち、ほおっておっくのではなく、干渉しながら育てて下さいました。神様は自分勝手に生きようとするヤコブに干渉し、神の御心通りに連れて行こうとされます。

創世記47:9 には晩年のヤコブの告白が書かれています。
永遠の命に生きることが最も大切だとわかったというヤコブには、以前の狡猾で自己中心なすがたはありません。130歳になったときにはすっかり変えられていたのです。


ヤコブのような人が聖書に書かれていることは、欠点の多いわたしにとって慰めになります。聖書に出てくる人物が品行方正な人ばかりなら、自分とかけ離れていると思ってしまいますが、アブラハムも、ダビデもペテロもその失敗が書かれていて、失敗しても神様によって立ち返っています。

レジメには次のように書かれていました。


「自分の失敗や足りなさが自分の運命を変更することはできないという事実を知ることほど、うきうきするものはありません。」

「私たちは毎日倒れます。しかし、いつももう一度起こして下さる神の御手があるので、もはや挫折はあり得ません。」

「私たちが自分の人生をあきらめても、神があきらめない限り、私たちには自分の人生をあきらめる権利がないのです。」

「イエスを信じるということは、これ以上ご自分に頼って生きないという意味です。傲慢になれないと同時に挫折する権利も奪われた者たちです。」

「『私はもうだめだ』」とどうして言えるでしょうか! 神が不快に思われます。」



わたしは何度も失敗し、挫折を繰り返してきましたが、挫折があり得ないと聞いてはっとしました。確かに神様はわたしを選び、導いて下さっています。だから失敗しても神様が引き戻して下さいます。

どんな人であっても「もうダメだ」なんていうことを言うことはできないのだと思いました。



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