26日はクリスチャン・ペンクラブのクリスマス会でした。新しい方や久しぶりに来られた方もおられて、30名近く集まり、皆でクリスマスをお祝いしました。
今年は外部講師のH先生を迎えしてお話しを聴きました。
H先生は子どものころ、両親から虐待を受けていたそうです。「生まれてこなければよかったのに」と言われたと聞いて、どれだけ辛い思いをなさったかと胸が痛みました。
小学生のとき、引っ越し先の近所に牧師の家があり、その子どもたちと仲良くなったことがきっかけで教会学校へ行くようになったそうです。
また、お父様のすすめでミッションスクールに通うようになられます。
ミッションスクールの入学式のとき、自分が神様から愛されている存在だと気づかされ、『生きていていいんだ』と思ったそうです。
<(註)どんな人でも生まれてこなければよかった人間などいません。たとえ両親が望んでいなかったとしても、あなたの存在は、かけがえのない尊い存在です。たとえ両親がその人を愛さなくても、あなたを造られた神様が愛し、あなたを必要としてくださっています。>
「母の胎にいるときからご存じの神様が、教会へ行くことを備えて下さった」と言われました。
「神が私の人生を計画してくださっている。だから、私は虐待される子どもとして育つことが必要だった」と言われるのを聞いて、はっと心打たれました。
それでも、両親から虐待を受けて育ったことは、大変なことで大きな痛手になっていたのでしょう。
「このように育つべく育ったのは主の恵みだと気づいたのは、50歳のときだった」と言われました。
それまでの間、どれだけ苦しんでこられたことでしょう……。
「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。(ヨハネ21:6)」
という聖書の言葉から、舟の右側とは文書伝道だと気づかされ、JCPに導かれ、また神学校にも入学されたそうです。
教会の牧師になられ、出版社を立ち上げ、たくさんの仕事に追われるようになり、忙しくしていたとき、重い病気になってしまいました。病院に緊急搬送され、3か月の入院を余儀なくされました。生死をさまよっていたとき、神様からの召命は何だったか思い返され、文書伝道に立ち返られたそうです。
「神様はできないことをせよとはおっしゃいません。神様はなすべきことを示しますが、それと同時に賜物も与えて下さいます。
神様が見られるのは、結果の出来不出来ではありません。全力で打ち込んだかどうかです。」
という言葉に力づけられました。
わたしも神様から文書伝道をするようにと示されています。それなのに才能がないからダメなんだと自信がなくなったり、このまま文書伝道を志していっていいのだろうか……と迷うことがあります。結果を気にするからいけないのだと気づきました。
「神の賜物と召命とは変わることがありません(ローマ11:29)」のみ言葉をかみしめて、迷わず進んでいきたいです。
第2部は、JCPの音楽家たちによる演奏と賛美。クリスマスの喜びあふれる賛美に晴れやかな気持ちになりました。

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