生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

メシヤの弟(その1)

2011-04-04 17:03:48 | 教会
3月で主人が定年退職しました。ほとんど無遅刻無欠勤でした。わたしの記憶では(結婚してからですが)病気で欠勤したことが一度もありませんでした。いちどだけ風邪で高熱を出して早退してきたことがありました。翌朝、熱が下がりきってないのにいつものように出勤しました。それで風邪が治ってしまったのですから、すごい回復力です。

37年間毎日、朝早くから夜遅くまで働いてくれたことを感謝し、「ご苦労様でした」と言いました。
今まで勤めていた会社で週3回仕事が与えられたので、お休みの日が土日以外に2日増えました。
わたしも生活のリズムが変わりました。落ち着くまでには少し時間がかかるでしょう。


昨日の礼拝メッセージではユダの手紙を書いたユダにスポットが当てられました。
ユダというとイエス様を裏切った弟子、イスカリオテのユダを思い起こしますが、このユダはイエス・キリストの兄弟のユダです。

(メッセージで語られたことは青字。聖書の言葉は緑字、わたしの感想は茶色字にしています。)


イエスキリストの兄弟は、年の順にヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダであるとマタイの福音書に書かれています。ユダは末っ子だったようです。
幼いころから一緒に暮らしていた兄が、自分こそ旧約聖書で預言されているメシヤ(救い主)であると言ってガリラヤで宣教をはじめました。

兄弟たちは戸惑ったことでしょう。兄は気が狂ったのだと思った者もいたでしょう。
ヨハネ7章には、迷惑だからガリラヤ地方で語るのはやめてほしい。どこか別の所で語って欲しいという弟たちの気持ちが表されています。

その理由として「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである(ヨハネ7:5)」と書かれています。



弟たちの気持ちはわかります。兄として一緒に暮らしていたイエスがメシヤであるなんて、信じられなくて当然でしょう。
イエス様のことを知らなかった人たちの方が、すんなりとメシヤだと受け入れられたことでしょう。
メシヤと兄弟というのは嬉しいことですが、あまりにも身近な兄だからこそ信じられなかったのでしょう。

聖書にはイエス様が宣教活動を始められる前のようすが書かれていません。イエス様が12歳でエルサレム神殿に行ったときのエピソードがルカの福音書に書かれているだけです。

大工として父ヨセフから技術を学び、長男として家の仕事もしていたのでしょう。弟たちに対してはきっと優しい兄であったでしょう。
伝承によれば、大工であるイエス様はくびきを作りました。イエス様の作ったくびきをつけた牛や馬の首は傷つかなかったそうです。

                       つづく


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