昨日の水曜礼拝は、映画「男はつらいよ。寅次郎物語」よりメッセージがありました。
先週ハイジのお話をして下さったT先生です。ハイジと寅次郎・・・どういう共通性があるのかと思って、興味津津で聞きました。
まず、39話のDVDの一部を観せていただきました。
『般若の政』と呼ばれていた仕事仲間が死んで、寅さんがその息子秀吉を母親のところに連れて行くというストーリーです。
「人は何のために生きるのか」ということがテーマになっています。
極道の果てに死んだ般若の政の位牌に向かって寅さんは言います。「お前は何のために生きていたんだ!」
『人間は、どんな生涯でも誰かに惜しまれ、悲しまれるために生きる』というのが寅さんの人生観です。でも政が死んで悲しんだのは、サラ金の取立人だけだったそうです。
最後に満男から「人間は何のために生きているんだろう」と問われたとき、寅さんは「生まれてきてよかったと思うときがあるから、そのときのために生きているんだ」と答えます。
秀吉を母親に引き渡した寅さんは、すぐ立ち去ろうとします。寅さんにすっかりなついていた秀吉は泣き、まわりの人たちはせめて一晩泊まって行くように頼みます。でも、寅さんはそれを断って立ち去ります。
それは寅さんの渡世人としての見栄ではなく、彼の奥底にある倫理観からそういう行動をとったのだとT先生が言われました。
寅さんは、自分の置かれている立場を、人助けをした者の立場に置かず、ひどいことをして死んだ仕事仲間と同じ立場に置いています。それで立ち去ったのです。
居残れば、みんなに感謝され、賞賛を得ることでしょう。でも、自分を愚者として認識している寅さんは、それを拒みました。
それはパウロがⅠテモテ1:15で「私はその罪人のかしらです」と言っているのに通じます。
「仏様が寅の姿を借りて助けたんだ」というお坊さんのセリフは、愚者であるはずの寅さんが、賢者の衣をまとって愛の行為をしたことを意味します。
愚者が賢者の衣をまとうとは、罪人が救いの衣をまとうことにつながります。
聖書には「私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。(Ⅱコリント5:2)」と書かれています。
神様は、ぬぐおうと思ってもぬぐいきれない罪を持っている人間に賢者の衣を着せて下さいます。
わたしも神様から衣をいただきました。神様の与えて下さった衣は、カルバリの十字架の上で織られました。苦しんで血を流しながら織って下さった衣です。
この衣のおかげで罪ある者が、罪なき者とされました。このことを覚えて受難週に向かいたいと思います。

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