昨日はヒックンママの運転でヒックンと3人で教会へ行きました。ヒックンが1・2歳クラスに出るのは5~6回目ですが、大人の礼拝のとき母子室に行ったのは初めてです。
わたしも一緒に三階の母子室に行きました。姪が2歳くらいのころ母子室で礼拝をささげたことがありましたが、それは10年以上前のことです。久しぶりに母子室に入って、乳幼児連れの方が多いのにびっくりしました。
母子室はガラス張りになっていて礼拝堂を上から見下ろす感じです。音声はよく聞こえ、泣き声やこちらからの声は聞こえないので気兼ねなく礼拝を守ることができます。
昨日は召天者記念礼拝でスクリーンに父の写真も映し出されましたが、泣きたいような思いにはならず、「お父さん、あなたのひ孫がここにいますよ」と語りかけました。
ヒックンはおもちゃで遊んでいましたが、途中で退屈してママに抱かれて外をながめていました。(眠くなってきて、ママじゃないとダメでした)
メッセージは集中して聴けませんでしたが、ヒックンママ、ヒックンと一緒に母子室に行けたことが嬉しくて心から感謝しました。
題名に「涙」が続いたのでもうひとつ「涙」のタイトルで書かせていただいています。
教会学校では先月26日からクリスマス会に向けて準備がスタートしています。例年は学年ごとの分級で何をやりたいか子供たちと話し合い、合奏や劇などを練習し、クリスマス会に備えていました。
今年は、学年の枠を取り払って、合奏、合唱、劇、ドラマ、マジック、紙芝居の中から子供たちが各々やりたいことを選んでグループに分かれることになりました。
わたしは紙芝居指導のリーダーなので、お話選びから始まりました。色々悩んだ末、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」をすることにしました。
子供のころ読んだことがありましたが、うろおぼえでした。日本語に翻訳されているものが何種類もありましたので、図書館で借りてきて読み比べ、低学年にもわかる言葉で書き直してみました。
(オスカー・ワイルドは100年以上前に亡くなっていますから、著作権の問題は発生しません。死後50年に満たない方の作品を利用するときは、著作権があるので許可が必要です)
「幸福の王子」を読んで初めて気づいたこと、発見したことがありました。
・ツバメが南の国に帰るのが遅れたわけは、一本の葦に恋をしていたからだったこと。
・王子の心臓は鉛ででいきていたが、焼かれてもとけなかったこと。
・王子はサファイヤの目を悲しんでいる人にふたつともあげてしまい、目が見えなくなってしまったこと。
・南の国に帰ることばかり考えていたツバメは、王子がふたつめの目をも差し出したときから、王子のそばにいようと決心したこと。
・王子は、目がなくなってもツバメの話を聞いて涙を流したこと。
・ツバメにはためらいや葛藤があったけれど、王子にはそれがなかったこと。
王子の姿がイエス・キリストに重なり、ジーンときました。
悲しんでいる人がいれば、自分の身を犠牲にしてまでも助けたいと思う王子。そんな王子に心打たれ、寒さのため死ぬこともいとわなくなったツバメ。
王子がキリストでツバメはクリスチャンのあり方だと思いました。(作者のオスカー・ワイルドがそのつもりで書いたかどうかわかりませんが……。)
王子がいくら心優しくてもツバメがいなければ悲しんでいる人を助けることができませんでした。ツバメに与えられている使命はクリスチャンに与えられている使命です。
ツバメのようになれるでしょうか……。
「幸福の王子」を読んで、わたしたちのために命を捨てて下さったイエス・キリストを深く思いました。
イエス様も涙を流しておられます。マルタとマリヤの兄弟ラザロが死んでしまったとき、イエス様は涙を流されたのです。
「イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)」は聖書の一節でいちばん短い文章です。
イエス様の涙はどんな色だったのでしょうか?