教会のすぐ東に大きな建物の建設が始まりました。イオンができるのです。(写真、教会の向こうのグレーの建物)畑の中にあって自然に恵まれた静かな環境の教会だったのに、騒々しくなりそうです。
今まで近くにスーパーがなかったので、「便利になる」と喜んでいる人。周辺の道路が混んで礼拝に行くのに大変になるのでは?と心配する人とさまざまです。
わたしは、 バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」を思い浮かべています。田舎にあったちいさいおうちのまわりにビルが建って、まわりがすっかり都会になってしまいます。ちいさいおうちは田舎に引っ越ししてまた静かに過ごすというお話です。
でも、めぐみ教会は移転しません。近くに大型スーパーができるということは、大勢の人が教会の近くにやってくるということです。その中で教会に足を向ける人がひとりでも起こされればいいなあと願っています。
今日は幼児祝福礼拝でした。
今を生きる若者にアンケートをとったら、自分が愛されていると思っていない人が大勢いることがわかったそうです。どうせ自分なんか…と思い、自分が大切だと思っていない人が多いそうです。
かつてのわたしもそうでしたが、自分が神様から造られた尊い存在だということを知らないと、自分を大切にしなくなります。自分を大切にしない人は、ほかの人を大切にすることができません。
最近大麻事件が連続して起きていますが、どうせ、自分なんかどうなってもいいんだと思って自堕落になっていく人が増えてきている証拠のようで心が痛みます。
礼拝では子どもに関して聖書が教える3つの視点を教えていただきました。
1)子どもは創造者からゆだねられた命です。
自分の産んだ子どもは自分のものだと言って、親が子どもを自分の意のままにしようとするケースがありますが、子どもは親の所有物ではありませんね。神様によってひとつの命が造られ、その命が家族にゆだねられたと思うと、わたしは子どもが尊い宝物のように感じます。
日本中の子どもたちに「あなたは、神様により造られたかけがえのない命なのだよ」と教えたいです。
2)子どもを育てることがわたしたちの素晴らしい特権です。
子どもが、子どもでいる期間は短く、限られています。子どもと共に過ごす時間は素晴らしい時間です。
わたしはふたりの子どもの子育てが終わりましたが、教会学校の子供たちがいます。孫がいます。自分の子どもを育てているときは余裕がなく、イライラして感情でしかってしまったり、子育てから早く解放されたいと思ったこともありましたが、今は子どもたちと過ごす時間が貴重な時間となっています。
3)富は神様からゆだねられています。
「世界がもし百人の村だったら」の詩が紹介されました。(以前もこのブログで紹介しましたが再度紹介します)
世界がもし百人の村だったらその村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です
6人が全世界の富の59%を所有し、
その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。
「わたしたちは、世界でほんのひとにぎりの裕福な10人の中のひとりに入っている。そのことを子どもたちに伝えなければならない」と牧師先生が言われました。