美術館を出たところに銀色の豆の形をしたモニュメントがありました。

「土の中の豆」という題で次のように書かれていました。
豆の上の棒は地表面を表しています。
・忍耐して待ち失望してはならない。
・時がくくると芽を出し、葉、更に花を咲かせ
多くの実を結ぶことができる。
・苦しみの中に必ず希望の光、新しい命が芽生える。
といったことを象徴させたものです。
そして、聖書の言葉が綴られていました。
わたしはあなたのみおしえを喜んでいます。
苦しみに会ったことは わたしにとって幸せでした。(詩篇119:70.71)
富弘さんが首から下が麻痺してしまったことを知ったとき、どんなにショックを受けたことでしょう。そして癒されることを切に願ったことでしょう。ても、その願いはかなえられませんでした。
その富弘さんが「苦しみに会ったことが幸せだ」と思っておられるのです。もし、事故に遭わなければ、キリストに出会わなかったかもしれません。口に筆をくわえて絵を描くこともなかったでしょう。このようなかたちで用いてくださる神様の業(わざ)を思うと、本当に不思議ですね。富弘さんは、不自由な身体になっても生きていることを喜んでおられます。そのことが次の詩にあらわれていますね。
下記の詩は詩画集「花よりも小さく」に掲載されているものです。

生きているから
痛みを感じるのは
生きているから
悩みがあるのは
生きているから
傷つくのは
生きているから
私は今
かなり生きているぞ
私のいのち
ありがとう
私のいのち
こんなに生きられるなんて
思わなかったよ
今、二十一世紀
春!

乳がんの手術を終えて家に帰って来たとき、チューリップの花の絵に添えられている「私のいのち」の詩を読んでボロボロと涙をこぼしたことを思い出しました。
義父母へのプレゼント用に「花よりも小さく」を買い求め、美術館をあとにして、バスツアーの旅は帰路につきました。
おわり