生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

自分が嫌いだったわたし(その4)

2006-08-11 13:10:48 | エッセイ

体の弱いことを受け入れても、まだ自分を好きになれませんでした。
誉められると、口では謙遜なことを言っていても、心の中では鼻高々になっていたり、逆に人からけなされるとひどく傷つき、その人を恨んだり……。人の言葉に惑わされる弱い自分が嫌いでした。また、自分の心の醜さにも気付いていました。そのことについては、神さまから赦していただいていることも知っていました。それなのに自分で自分が赦せなかったのです。何年もその葛藤の中にいました。

精神的につらいできごとが起きたとき、真剣に神さまを求めました。朝早く起きてデボーション(聖書を読み、祈る)を始め、昼と夜にもデボーションをし、心に残った聖書の言葉や感想をノートに書き綴っていきました。何か月か過ぎたとき、目に見える状況には変化はありませんでしたが、悲しみが喜びに、嘆きは感謝に変わっていきました。神さまがどのようなお方かということ、イエスさまがしてくださったことの大きさがわかったからです。


神さまに目を向けていると、人の言葉に惑わされなくなってきました。誉められたときは、神さまに栄光をお返しして、神さまをほめたたえれば高慢にならなくてすみます。けなされたときは、謙遜に受け止められ、必要以上に傷つかないようになりました。心の醜さについては、神さまにすべて告白することによって、赦され、きよくしていただいているのだという実感が沸いてきました。


旧約聖書の詩編にそれはあなたがわたしの内臓を造り、母の胎のうちでわたしを組み立てられたからです(139:13)
とありますが、自分が偶然生まれたのではなく、神の手によって造られたことを再確認しました。神さまが造って下さった自分のことを嫌っていたら、造った方に失礼ではないかと思いました。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師と書かれていますが、粘土である自分が、陶器師に対して文句を言う資格などないのです。
さらに神さまはわたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)と言ってくださるではありませんか。


こんなわたしが尊いですって? と驚きました。神さまは目的を持ってわたしのことを造ってくれたのです。必要のない人間はひとりもいないのだと知ったとき、体が弱いことも、気が弱いことも、神さまのご計画なのではないかと思うようになりました。そのときはじめて自分のことがいとおしいと思えました。

自分のことが好きになれたので、2年半前に乳癌になったときは、すっと受け入れられました。乳癌は神さまがわたしに必要だから下さったのだと、神さまの善意を信じました。もちろん、葛藤はありましたし、リンパ転移がわかったときは悩み苦しみましたが、乳癌である自分のことを認めることができたのです。


これらの聖書の言葉は、わたしにだけでわなく、いまこのブログを読んでおられるあなたに向かって贈られた言葉です。神さまが尊いと言ってくださっているあなた。かけがえのないあなた。どうか命を大切にして下さい。これはわたしの切なる願いです。


おわり


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