共鳴箱のついた音叉をご覧になったことがありますか? わたしが小学校のとき、音楽室にありました。同じ振動数の音叉を近づけると、共鳴箱つき音叉が同調して鳴り出すのを知って驚いたことを覚えています。
別の小学校へ通った6歳年下の妹は共鳴箱を知らないといいます。今では、共鳴箱のついた音叉を置いている学校はないのでしょうか? 知らない人が多いのかもしれません。
わたしの心には共鳴箱があるようです。昨日教会で礼拝のメッセージを聞いたとき、わたしの心の音叉は鳴り響きました。数年前にも鳴りました。鳴ったのは何回目でしょう。なぜか礼拝中に鳴り出すのです。
牧師先生は最近の新聞記事を取り上げて言われました。
イライラしている小学2年生は40%、
自分などいない方がいいと思っている子供は30%、
日本の未来は暗いと思っている中高生は61%いる。
そして、自殺者は年間3万人以上。児童虐待の相談件数は3万件にも上ると……。現代は、何というカオス(混乱)の時代なのでしょう。
Ⅰコリント人への手紙の冒頭には、使徒パウロがコリントの教会の人たちのことを「聖徒として召され」た者と呼びかけています。聖徒というのは、その人が特別すぐれているからそう呼ばれるのではなく、神さまの恵みによって、イエス・キリストを信じることにより聖徒とされた者です。イエスさまは、ひとりひとりのクリスチャンのことも「聖徒」と呼んで下さっています。
「このわたしが聖徒? バンザーイ、嬉しいな」と手放しで喜んでばかりいられるでしょうか。
聖徒には目的、使命があるといわれました。自分の存在価値がわからず、生きる目的を失い、さまよっている人たちに「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)」と言って下さる神さまの愛を伝えるという目的です。
わたしは、神さまの愛を子供や若者に伝えたいと思って小説を書いています。
でも、困難を感じ、とてもわたしには書き上げられないと落ち込んでいたときに、共鳴箱が鳴り出しました。どうしたらいいのでしょう……。いくら耳をふさいでも聞こえてきて、鳴りやまないのです。
心の音叉を鳴らして下さったのは神さまだということは、わかっているのですが、立ち止まったまま一歩が踏み出せなくていました。
背中を押された気持ちです。感謝!
優子さんが心をこめて祈って下さったおかげで、ずいぶん良くなりました。今日はブログを書く体力が与えられて感謝です。