土曜日に妹との姪が泊まりに来ました。3日がちょうど姪の誕生日だったので、3月31日生まれのヒックンと合同の誕生会をしました。ケーキはヒックンが大好きなカーズの絵柄で、2人の名前を書いてもらいました。ふたりの年はちょうど12歳離れています。去年も4月に我が家でふたりの誕生会をしました。8人分の御馳走を作って、お祝いしました。
ヒックンは、久しぶりに姪と会ったので恥ずかしそうにしていましたが、すぐに慣れて「Rちゃん、遊ぼう、遊ぼう」と言ってずっとくっついていました。
日曜日は教会へ行きました。わたしは第1礼拝に出て、第2礼拝の時間CS奉仕をし、妹と姪は第2礼拝に出ました。イースターの特別礼拝だったので、第2礼拝はティーンズ(中高生)と合同でした。
妹は久しぶりの教会でした。姪は我が家に泊まりに来るたびに教会に連れて行くので友達もいて、再会を喜んでいました。そして「また教会へ行きたいから、連休に泊まりに来ていい?」とわたしに言いました。わたしは大喜びで「もちろん!」と答えました。
妹は、「イースターって何?」と尋ねました。イースターはキリストの復活(よみがえり)を祝うものだと話し説明しましたが、なかなか理解してもらえませんでした。
イースターのメッセージの一部を紹介させていただきます。
「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15:20)」と聖書に書かれていますが、復活を信じられない人は多いです。
復活を実験して証明することはできませんが、パウロは地上の実例から類推しようとしています。
「しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。(Ⅰコリント15:38.39)」
自然界では、同じ命でありながら、全く違った形になってよみがえります。
(種やセミ、蝶などの昆虫など・・・)
地上の体は天上の体に、血肉の体は御霊の体に、滅びるものは滅びないものに変えられます。
旧約聖書に書かれているヨブは、全ての財産と家族をなくし、自らも病に侵され、最大の悲観を体験します。極限の悲惨な中で神に語りかけると、神様は自然界のことをヨブに語ります。(ヨブ記38章を読む)
それを聞いたヨブは口に手を当て、悔い改めます。
「神さまは信じない者に対して怒っているのではありません。責めているのでもありません。自然界の神秘から信じなさいと招いているのです」と牧師先生が言われました。
わたしには肉体のとげがあり、体の弱さに涙するときもある現実ですが、嘆くことはありません。やがて新しい復活の体をいただけるというすばらしい約束があるのですから、希望を抱いています。
わたしたちの初穂としてよみがえられたイエス様のことを思うと、わたしもやがて決して滅びることも朽ちることもない体が与えられるのだなあと喜びが湧き上がってきます。
この喜びを妹や姪とわかちあえる日がきますようにと祈りました。