昨日、実家から戻ってきました。末期癌の父の入るホスピスを見学に行ってきたのです。
父の状態はいまのところ小康を保っており、先日の暖かい日には母と近所に散歩に出かけたほどですが、いつ悪くなるかわからないので、ホスピスを探しておくように主治医から言われていました。ホスピスはベッド数が少なく、前もって予約をしていても待たされるので、早目に決めておくようにとのアドバイスを受けていました。
幸い実家は都内で駅にも近いので、緩和ケアーをしている病院は、1時間以内で行ける範囲に絞っても4.5軒あります。緩和ケアーを行っている病院が1軒もないという県もあるそうなので、もっとそういう病院がたくさんできるようにと望んでいます。
父と母は2人暮らしで、母は体が弱いので、在宅看護は無理です。それで、できるだけいいところに入ってもらいたいと思い、見学することにしたのです。
9日には母と妹と3人で1箇所に行き、10日は妹と3箇所をまわるつもりでした。でも、9日に行ったところがとても良かったので、10日は1箇所だけ見て、後でどちらかを選択することにしました。
3人で出かけたことで(買い物に行くといったのですが)父は疑いを持ってしまいました。そして、余命が短いことをうすうす感づいているようで、いらいらし、とても暗い顔をしていました。そんな父を見るのがつらかったです。
行きの電車の中で「生と死を支える」柏木哲夫著(朝日新聞社)を読みました。医師が患者の気持ちを思いやり、患者の意志を大切にし、患者が望まない治療はしない。患者と患者の家族の精神的ケアをする。と書かれているのを読んで、このような理想的なホスピスがあればいいのに……。と思いながら見学にいきました。
すると、見学した2箇所とも、その本に書かれているようなケアーを行っていることがわかり、心から感謝しました。
今朝読んだ旧約聖書1日1章(榎本保朗著))の詩編46篇のところに書かれていた文を紹介します。
讃美歌512番に「君は谷に百合、明日の星」という言葉があるが、本当に涙の谷を過ぎなければならないような、死の陰を通らなければならないようなことが人生にはある。しかし、その谷にこそ咲いている百合があり、それを見つけるかどうかということが、大きな問題なのである。それを見つけた人は、もはや谷が谷でなくなってしまう。あるいは夜明けの暗闇の中で、明けの明星を見つけた人は、そのところで大きな光を見いだすのである。
「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。(詩編46-1)」)
今、わたしは暗い谷を歩いているような気持ちです。でも、神さまは谷間に百合の花を咲かせて下さっています。百合の花を見つけたとき、そこは暗い谷ではなくなるのですね。今回、谷間にたくさん百合の花を見つけました。父にも百合の花が見えるようになりますように。
きっと、たくさんの応募があったことでしょうから、佳作に入っただけでもすごいことだと思います。ご健筆をお祈りします。
「土筆さんのお父様が、谷間に咲く百合の花を見つけることができますように」、私もお祈りしております。
それから「一滴の水」は佳作でした。中々難しいですね。もっともっと勉強しないとだめです。