生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

なぜ災害が起きるのでしょう

2018-09-21 16:38:55 | 聖書から
ごぶさたしています。
昨日の家庭集会で感じたことを書かせていただきます。

この夏は災害が続いて、まだ苦しみの中にある人たちが大勢おられます。なぜこのような災害が起きるのかと、問いただしたい気持ちになることでしょう。

旧約聖書の出エジプト記にはモーセがイスラエルの民を率いて荒野を旅するようすが書かれています。エジプトを出発してカナンの地に行くのです。まっすぐ行けば2-3か月で行けるそうですが、回り道をしたため40年もかかって到着しました。

回り道をさせられた理由はわからないのですが、イスラエルの民は、神様に導かれて苦難のある荒野を旅したのです。神様の側からみると、あえて民に苦難の旅をさせたということです。なぜでしょう。

水野源三さんの詩に「苦しまなかったら」という詩があります。

「苦しまなかったら」 水野源三

もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった

もしも多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神の愛は伝えられなかった

もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった。


水野源三さんは子どものころ赤痢に罹って、命は助かりましたが、体が動かせなくなってしまいました。
まばたきで意思を伝えることしかできませんでしたが、たくさんの詩を作って、多くの人に感動と生きる力を与えました。

源三さんは、自分の病気を嘆くのではなく、苦しみにあったので神の愛を知ることができたと書いています。

詩篇には「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119:71)」と書かれています。

わたしの場合は、苦難の真っ最中にいるときは、神様がなぜわたしを苦しい目にあわせるのかわかりませんでした。でも、過ぎ去ってみると、心から「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」と言うことができます。真っ最中にいるときにもそのように言えれば本物の信仰者です。水野源三さんのように。

また、出エジプト記19:5には「わたしの宝となる」と書かれています。
その言葉に感激しました。神様は何のとりえもないわたしを宝と言ってくださるのです。神様はわたしのことを造り、苦しみも与えてくださいましたが、多くの喜び、恵みを与えてくださいました。そして『お前はわたしの宝だよ』と言ってくださっています。なんとうれしいことでしょう!

最後になぜ災害が起きるのかについて。
なぜ災害が起きるのかわかりませんが、確かなことがあります。それはイエス様が災害にあわれた方のそばにおられるこということです。災害にあわなくても悲しみの中にいる人の傍らにイエス様がおられるのです。


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