これからまた実家に行きます。千葉、三鷹、お茶の水へ行って土曜日には帰ってくる予定です。写真はマナ愛児園でプランターで育てているトウモロコシ。
子供のときに聖書の神さまを知ることは、ものすごく価値のあることです。たとえ、中高生あるいは大人になって教会から離れてしまったとしても、蒔かれた種は長い人生の中できっと芽を出すでしょう。ときには命を救うこともあるでしょう。
17年前娘がマナで過ごせたことがどれほど価値のあることだったのかと、今さらながら思っています。マナ愛児園卒園児母として書いた詩を紹介します。(05年に教会月報に掲載された詩です)
君は思い出すでしょう
たくさんの友達に囲まれているのに
ひとりぼっちを感じたとき
君は思い出すでしょう
裏切られ傷ついて、もう誰のことも
信じられなくなったとき
君は思い出すでしょう
思いもよらぬことが起き、なすすべもなく
ひとり途方に暮れたとき
君は思い出すでしょう
病に倒れ、痛み、苦しみ、死の恐怖
不安がおそいかかるとき
君は思い出すでしょう
罪に気づき、どうすることもできなくて
胸をたたいて泣いたとき
君は思い出すでしょう
年老いて、だんだんと体がおとろえて
死を間近かに感じたとき
君は思い出すでしょう
マナ愛児園で聞いた
ご自分の命を捨ててまで愛して下さる
イエスさまのことを
この詩に感動しました。
深く心の深いところまで届いてきます。主の癒しの御手のように。
この詩は、以前イエス様のことを聞いたけれど、今は教会を離れている人に向けてのメッセージです。と同時に自分自身に向けてのメッセージでもあります。
「思い出しておくれ」と願いながら書きました。
ここまで書いたら、睡魔が襲ってきました。優子さん、ゴメンナサイね。メールのお返事は後日しますね。