このところ毎日出かける用事があって、なかなか落ち着いてブログが書けませんでした。今週も春休みに入ったとたん、孫のヒックンが泊りがけで来るので大忙しです。
先週の土曜日は、日本クリスチャン・ペンクラブの例会でした。
今年は「信仰・希望・愛」のテーマでエッセーを書き始めています。今回は「わたしと信仰」というテーマで書いたエッセーを持って行き、グループに分かれて合評しました。
信仰・希望・愛というのは、「聖書のⅠコリント13:13に書かれている 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
という言葉からきています。
『希望』という言葉はとてもいい言葉ですね。でも、すぐ失望に変わったりします。
希望を持って進学したのに、学びたいことが学べなかった。希望を持って就職したのに上司に言われたことしかできない職場だった。などなど……
希望についてのメッセージで語られたことを一部紹介します。
一般の人の考えている希望は、あきらめが混じっています。希望がかなうと、大喜びし誇らしく話すのです。しかし、失望はごく近くにあります。
聖書ローマ人での手紙には「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:3-5)」
と書かれています。
『希望は失望に終わらない』というのは大胆な逆説です。
『聖霊』というのは、現在大活躍している生きた神様のことです。
患難さえも喜んでいるとはどういうことでしょう。患難は、ふつうは避けたいと思います。でも、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。つまり、希望は忍耐の孫なのです。
イエス様の恵みにより、患難が希望になるのですから、患難から希望までの出来事……神のドラマを書いてみましょう。と言われ、士気が高まりました。
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今年は「信仰・希望・愛」のテーマでエッセーを書き始めています。今回は「わたしと信仰」というテーマで書いたエッセーを持って行き、グループに分かれて合評しました。
信仰・希望・愛というのは、「聖書のⅠコリント13:13に書かれている 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
という言葉からきています。
『希望』という言葉はとてもいい言葉ですね。でも、すぐ失望に変わったりします。
希望を持って進学したのに、学びたいことが学べなかった。希望を持って就職したのに上司に言われたことしかできない職場だった。などなど……
希望についてのメッセージで語られたことを一部紹介します。
一般の人の考えている希望は、あきらめが混じっています。希望がかなうと、大喜びし誇らしく話すのです。しかし、失望はごく近くにあります。
聖書ローマ人での手紙には「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:3-5)」
と書かれています。
『希望は失望に終わらない』というのは大胆な逆説です。
『聖霊』というのは、現在大活躍している生きた神様のことです。
患難さえも喜んでいるとはどういうことでしょう。患難は、ふつうは避けたいと思います。でも、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。つまり、希望は忍耐の孫なのです。
イエス様の恵みにより、患難が希望になるのですから、患難から希望までの出来事……神のドラマを書いてみましょう。と言われ、士気が高まりました。
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