生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心の塀が壊されて

2011-02-09 16:51:27 | 日記

友人の優子さんが2/8の「メメントドミニ」で、童話「わがままな大男」について次のように書いておられます。

この大男の姿は我々人間に巣食らっている本質でもあろう。
童話に登場する両方の手のひらと両足に釘のあとがある「小さな子ども」は、神の子イエス・キリストであり、ワイルドは神の愛によって人間は救われることを述べているのである。

大男の庭は大男の心のありさまであり、しかし、いつしか「自分の心の高い塀に気づき、自らの手で塀を打ち破った」のである。

(ブックマークの「メメントドミニ」をごらんください。)

我が家にある絵本の題名は「わがままな巨人」で、釘あとがあることは省略されていますが、原作にはおそらく書かれていたでしょう。

無意識のうちに自分のまわりに塀をめぐらせることって、結構ありますね。
「わがままな巨人」を読んで父のことを思い出しました。

わたしの父は厳格で頑固な人でした。人の話を聞いていると、いつの間にかお説教する姿勢になっていました。父に逆らったり、口答えすると激怒するので、母もわたしや妹も恐れていました。

父にキリストを伝えたくても、話を聞いてくれないのでどうしようもありませんでした。
父は癌になる数年前に腹部大動脈瘤で緊急手術を受けたことがあります。
「危なかったですよ。もう少し遅ければ、破裂していました」と医師から告げられたとき、「運がよかったんだなあ」と言っていました。

そのときから、父は自分のはりめぐらしていた高い塀に気づき、それを少しずつ打ち壊していたのです。
父が大動脈瘤で入院している時に、三浦綾子さんの本「永遠のことば」を持って行きました。
読んでくれるかどうかわからなかったのですが、少しでも心を開いてくれればと思って祈りつつ渡しました。

数年後に末期がんになったとき、父が「永遠のことば」を熱心に読み、書き写していたことを知りました。
父の心の塀がくずれていたので、わたしが話したイエス・キリストのことやホスピスでチャプレンの先生が語る言葉を素直に聞き、受け入れることができたのだと思います。

巨人が小さな男の子と出会って喜んで天国にいったように、父もイエス様と共に天国へ行ったのだなあと思いました。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なみだあり、よろこびあり (Thomas)
2011-02-11 00:03:15
>巨人が小さな男の子と出会って喜んで天国にいったように、
父もイエス様と共に天国へ行ったのだなあと思いました。

なるほど。
つらい、つらい出来事だったと思いますが、慰められますね。

さて「なぜ、子供の姿なのかなぁ。。。」と思ってた件ですが、「メメントドミニ」さん
のブログを読んでたら、「神の子」だからなのかなと思いました。
返信する
Thomasさんへ (文香)
2011-02-11 07:32:28
コメントありがとうございます。

イエス様がなぜ子どもの姿なのか・・・「神の子」だから、作者がそのようにイメージしたのかもしれませんね。

わたしは小説の中で、イエス様をおじいさんの姿で書いたことがあります。

色々な人の姿の中にイエス様がおられると考えたからです。
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