昨日、水曜礼拝に行く準備をしていたら、みぞれが降ってきました。
風邪気味でもあったので、お休みしようか迷いました。
でも、せっかく支度したのだからと、傘をさして出かけると、みぞれはどんどん強くなり、コートにしみこんでいくようです。引き返そうと2回ほど思いましたが、そのまま歩いて教会まで行きました。顔はこわばり、足や手は氷のようです。
でも、聖書輪読会に出て、聖書を読んでいるうちに体がホカホカしてきました。
水曜礼拝は、音楽主事の先生による合唱入門。丸く並べられた椅子に座っていつもと違うスタイルで行われました。
ひとりが「ド」の音を出し、もうひとりが一オクターブ上の「ド」の音を出すと、「ソ」の音が聞こえてくるというので『まさか?』と思いました。最初はわからなかったのですが、床から天井にかけてのぼっていくような「ソ」の音の響きが感じられました。目には見えないけれど、聖霊がそこにおられるのがわかったという感じの不思議な体験でした。
フランシス・ハヴァーガルが作詞した讃美歌332(主はいのちを与えませり)を四部合唱で賛美しました。
フランシス・ハヴァーガルはいつも喜び輝いていたので「どうしていつも嬉しそうなのですか?」と人に問われるほどだったそうです。
喜びの秘密について彼女は「イエス様がいのちを捨てるほどわたしのことを愛して下さったからです。」と答えたそうです。
「あなたの喜びの秘密を教えてください」と言われるようになりたいと思いました。
讃美歌332の歌詞の意味を味わいながら賛美すると、心が震えました。
「主はいのちを与えませり」の直訳を紹介します
わたしはあなたに、わたしのいのちを与えました。
わたしの貴い血を流したのは、あなたが贖われ、死から甦るためなのです。
わたしはあなたのために、わたしのいのちを与えました。
ほんとうに与えたのです。
あなたはわたしのために、何を捧げましたか?
わたしはあなたのために、あなたが表現できないほど、苦しみました。
あなたを地獄から救うために、最もむごい苦悩を味わいました。
それはみな、あなたのためでした。
あなたはわたしのために、何を苦しみましたか?
わたしは天の住まいから、あなたに完全な、無償の救いをもたらしました。
わたしは、豊かな賜物を、あなたに与えました。
あなたは、わたしに何を捧げましたか?
*わたしというのはイエス・キリストのことです。讃美歌の日本語の歌詞は「主」となっています。
聖書のことば
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
(ガラテヤ2:20)」
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