生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

悲しい知らせ(続き)

2005-11-24 12:41:43 | 日記
2年前、乳癌で入院していたとき同室で親しくさせていただいていた方が今年の1月に亡くなったという知らせをいただきました。
入院中はご高齢の両親が毎日彼女を見舞っていました。ご両親にとても大事にされてきた方だなあという感じがしました。

年末には彼女も退院しました。翌年の春になり、ふたりとも元気になってきたのでランチの約束をしました。住まいは近くでしたので待ち合わせして行く予定にしていました。ところが、その日の朝「急用ができて行けなくなった」と電話がかかってきました。

また、いつでも機会はあるからと思っていたのですが、その後彼女の体調がおもわしくなくなって、それきり会うことはなかったのです。それでも、手紙のやりとりはしていました。(彼女はメールはしないので)いつもピンクのチューリップの柄のかわいい便せんに手紙を下さいました。

 去年のクリスマスにカードと聖書の言葉入り卓上カレンダーを送ると、お母様から電話をいただきました。「いま、入院しているのでお手紙の返事が書けなくて」と言われたので、わたしは「返事はいりませんよ。お見舞いに伺います」と言いました。
ところが、翌日またお母様から電話があり「お見舞いに来て欲しくないと言っているので……」と申し訳なさそうに言われました。自分の病んでいる姿を知人に見られたくないという気持ちなのかもしれません。かんたんに「お見舞い」などと言ってしまって、そのことでお母様にも彼女にも思い煩わせてしまい申し訳なかったと思っています。

それから何の連絡もとりあわないまま1近くたちました。彼女は1月に亡くなっていますから、あれからひとつきもしないうちに亡くなっていたのですね。わたしのあげたカレンダーをめくることもなかったのです。
何も知らないわたしは、毎日欠かさず彼女と彼女のご両親のことを祈っていました。なので、そんなに長い間、コンタクトをとってないという気はしていませんでした。

わたしは毎朝、40人くらいの友人知人のことを祈っていますが、その中には何十年も会ってない人もいます。でも、祈っているとその人が親しく感じられます。これは全く一方的な思いですが……。

1年近くも前に亡くなっていた人のために祈っていたとは……。
でも、このことは無駄だったのでしょうか?彼女の回復を祈っていたのですが、その祈りはかなわなかったわけです。でも、祈り続けてきたことは無駄ではないと確信します。これからは、大事な娘さんを亡くされ、心を痛めているご両親が少しでも慰められるようにお祈りします。
 
 彼女と出会えたことを感謝しています。

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