生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

かなえられなかった祈り

2005-11-26 13:02:32 | 日記
以前わたしは毎年クリスマス童話を投稿していて、送るときには「入選させてください」と祈ってから送っていました。最初はだめでも、3.4回目くらいには、きっと……。と思いながら投稿を続けました。でも、佳作にも入りません。
何がなんでも入選したいという自分の思いをかかげて、一方的に神様にお願いしていました。それがかなえられないと、自分はだめな人間なのだと落ち込むわけです。12月のはじめにその結果がわかるので、落ち込みがひどい年はクリスマスまで落ち込んで、クリスマスを心から祝えないこともありました。
 
それでも、あきらめきれずに毎年新しく書いてしつこく投稿し続けました。七転び八起きだと思って投稿したので、8回目に落選したときがいちばんこたえました。落選のたびに書くのをやめようと思うのですが、気を取り直して翌年9回目に投稿しましたが、やはりだめでした。募集はその年で終わりになってしまいました。

そのとき、祈りがかなえられないからといって落ち込むのは、神さまを全面的に信頼してないことだと気づきました。神さまに結果をすべておまかせして待とうと思い、別のところに小説を応募すると、思いもかけず入選したのでした。

イエスさまは、十字架にかかる前に

「わが父よ。できますならばこの杯をわたしから過ぎさらせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください。(マタイ26:39)」


と祈っています。父というのは神様のことで、杯というのは十字架にかかって死ぬことを意味します。イエス様は、できれば十字架の苦しみを避けたい。でも、神様のみこころのようになさってくださいとおっしゃっています。

祈りとは、自分の願いを押しつけることではなく、神様のお考えの通りなさってくださいと願うことなのだとようやくわかりました。それは、9年間祈りがかなえられなかったから、わかったことでした。
神様は別の方法でわたしの創作作品を用いるようにして下さいました。かなえられない祈りで、「待つ」ということも教えられたのでした。

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