生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

理不尽な出来事、残虐な事件が起きたとき・・・・・・

2017-03-16 15:56:50 | 聖書から
殺人事件、戦争、テロなど、残虐な事件の報道を見聞きすると、神様はどうしてこんなにひどいことが起きるのを許されるのだろう……と思うことがあります。
何年か前ですが、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんが、飢えて死んでいく子どもたちを見て「こんな理不尽なことがあるから、神様はいないと思う」と言っていました。
果たして理不尽なこと、暴虐な事件が起きることが、神様がいないという証拠になるのでしょうか?

厳しい現実の中で神様を見いだしていくのは難しいことです。暴虐な事件が起きている時、神は沈黙しているようで、祈っても、祈っても事態が改善せず、悪くなっていく一方の場合があります。
そんなとき、どのように考えたらいいのでしょう。神様はなぜ助けてくださらないのでしょう……。

水曜礼拝の旧約聖書士師記9:42~49の学びで、その疑問に対する解決の糸口を示していただきました。
ギデオンの息子、アビメレクは、自分が王になるため70人の兄弟を虐殺しました。その後シェケムの町から裏切られると、復讐だと言って、神殿の地下に逃げ込んだ千人の人たちを火で焼いてしまいました。

聖書は虐殺があったことだけを記し、それが良いとか悪いとかは書いていません。
なぜこのようなおぞましいことが聖書に記されたのか……それは、自己欲のため自分に不都合な者を抹殺したいという人間の罪について考えてほしいということではないでしょうか。


残虐な事件が起きると、事件を起こした人だけが悪いと考えがちです。そして、事件を起こした人と自分には何の関係もない、何の共通点もないと思ってしまいます。

でも、人間は優しい面と残虐な面と、どちらも持っているのではないでしょうか。
いじめをテーマにした映画を観て涙を流した人が、映画館から一歩外に出たとき、一緒に行った友達をいじめたという話しがあります。

殺人犯を見て、自分は人を殺したわけじゃないからあの人より罪が軽いなどと言えるでしょうか。

理不尽な出来事、残虐な事件が起きたとき、それを神様のせいにするのではなく、人間の罪が事件を起こしていることを思い、自分自身の中にもある冷たい心を考えるようにと教えていただきました。

写真は暗唱聖句大会の賞品クッキーです。細かいところまでプリントされています。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。私のエッセー掲載されています。
ぜひ、ごらんください。



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