祈りたいけれど、言葉が出てこない。何と祈ったらいいのかわからないときがありました。神さまは心の中すべてを知っておられるのだから、わざわざ祈らなくてもいいのでは……とさえ思いったこともありました。そんなとき、祈りは子どもが親に話すのと同じようなものだと教えられました。
「お母さん、今日こんなことがあったよ」と、幼子が片言で母親に一生懸命話している姿をみました。母親がすでに知っていることを言っているのかもしれません。それでも、母親は子供が話しかけてくれるのを喜びます。どんなに言葉が足りなくてもです。
それと同じで、父なる神さまもわたしたちが祈るとき、それを喜んで下さるのですね。
嘆きのつぶやきや、うめき声でさえ、神さまに向けて発するとき、祈りとなり、それは確実に神さまに届きます。
聖書の言葉
「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると主は私の声を聞いてくださる。詩編55-17」
「お母さん、今日こんなことがあったよ」と、幼子が片言で母親に一生懸命話している姿をみました。母親がすでに知っていることを言っているのかもしれません。それでも、母親は子供が話しかけてくれるのを喜びます。どんなに言葉が足りなくてもです。
それと同じで、父なる神さまもわたしたちが祈るとき、それを喜んで下さるのですね。
嘆きのつぶやきや、うめき声でさえ、神さまに向けて発するとき、祈りとなり、それは確実に神さまに届きます。
聖書の言葉
「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると主は私の声を聞いてくださる。詩編55-17」