生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

祈り  (その1)

2005-11-19 12:59:24 | 聖書から
友人になぜ祈るのかと聞かれました。それは確かに聴いて下さるお方がいると信じているからです。
もちろん、熱心に祈ったからといって天から声が聞こえてきたりするわけではありません。でも、祈りは神さまとの会話ともいいますから、祈りは聴かれていると信じています。

神の存在を信じられない人にとっては、祈りなどは非科学的なもの、あてにならないものと考えるのではないでしょうか。でも、死ぬか生きるかの危急なときには、「神さま、助けて!」
と叫び祈る人が多いですね。

クリスチャンホームで育った子供は、親が祈るのを小さいときから見ているので、祈ることを自然に覚えます。しかしながら、わたしはクリスチャンホームで育ったわけではないので祈ることに対して抵抗がありました。祈って何でもかなえられるなら、悩みなんかなくなる。いくら祈ってもどうにもならないなら、祈っても意味がないと思っていました。

でも、祈りが「聴かれる」ということと、「かなえられる」ということは別だと知ったとき、はっとしました。神さまはどんな小さな祈りでも聴いて下さっています。正確にいえば、祈る前にわたしたちの思い、願い、悩み、心のうちすべてをご存じです。そして、祈ったときすぐにかなえられることもありますが、かなえられないこともあります。何年祈ってもかなえられないことがあります。
希望校に入りたい。結婚したい。子供を授かりたい。お金持ちになりたい。病気が癒されたい……等。

かなえられないのは、神さまに祈りが届いていないのではありません。小さな子供がナイフがほしいと親に願っても、親は今この子に持たせるのは危ないと判断したら与えません。子供にいちばんふさわしい物を与えますよね。それと同じで、神さまはその人にいちばんふさわしい時期にいちばんよいものを与えて下さいます。

祈っても、なかなかかなえられないとき、待たなけれなりません。待つということは、忍耐が必要ですが、それは神さまからの訓練のときです。

これを読んでいる方で、いま患難の中にあって、身が切られるようにつらい思いをしている人がいましたら、あなたの苦しみ、涙をすべて知っておられる方がおられるということを覚えて下さい。あきらめずに希望を持って祈って下さい。あなたの涙がすっかりぬぐい去られる日がきます。わたしも祈ります。

聖書のことば

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。(ローマ5:3-5)」

「また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。(黙示録7:17)」



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