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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

救われるってどういうこと?(その2)

2012-12-11 21:57:43 | 聖書から

昨日に続いて、イエス様を信じたわたしの心に起こった変化について書いています。


⑥自分の力で人生を切り開いていくという思いから、神様に力をいただいて何かをしようと思うようになる。

自分の力で勝ち取っていくこと。一生懸命頑張ることがすばらしいとする考えが世間にはあります。確かに努力して勝ち取ることができることもあります。
けれども自分の力ではどうしようもなくなるときがあります。たとえば病気をしたり、思わぬ事故にあったり……また、老いて体力に限界がきたり……やる気があっても、努力しようと思っても、どうしようもないことがあり、そのようなとき、自分の力だけでやってきた人は挫折してしまうかもしれません。

でも、神様にたよる人は、どんな困難なことが起きても絶望しません。困難をマイナスではなくプラスにしてしまうのです。
そして何かを成し遂げて人々から称賛されても、神様の力によってできたことなので誇ることがありません。

⑦心配しすぎて自分を見失うことがない。
心配がなくなるわけではありません。心配はします。でも、神様が助けてくださると信じているのできっと大丈夫と思えるのです。

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります(マタイ6:34)」

⑧神様が一緒にいてくださることを実感して平安が与えられる。
不安で胸がざわざわすることもあります。恐れに取りつかれて臆病になってしまうことがあります。そういうときは、神様が共におられることを忘れているときです。

聖書には恐れるなと何度も書かれています。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから(イザヤ41:10)」
この聖書の言葉を読むと、神様が一緒にいてくださるのだから、すべておまかせしていたらいいのだというところに落ち着いて、心が安らかになります。

「何事も思い煩らわないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます(ピリピ4:6,7)」

人のすべての考えにまさる神の平安が与えられたとき、それは天国にいるような気持ちです。そのようなとき『天国の前味をあじわう』と言うのだそうです。

イエス様を信じてわたしのうえに起こった変化はまだまだありますが、書ききれないのでこのへんで終わります。

もともと臆病で神経質で、消極的で悲観主義だったわたしでした。それがすべて逆になってきたのですから、自分でも驚いています。

このことを『救い』とは言いませんが、別の意味で心が救われたと言ってもいいのではないでしょうか。もし、わたしが以前のままの心でいたら、乳がんになったとき、心配のあまり別な病気になっていたと思います。それ以前に、色々な心配事、思い煩いで押しつぶされて死んでしまっていたかもしれません。
わたしは、イエス様を信じて命を助けられたのです。

「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない(Ⅰペテロ2:6)」というのは本当だと実感しています。

                        おわり


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