生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

検査のたびに死を想う

2012-12-07 21:22:56 | 日記
昨日子宮体癌の検査結果を聞きに婦人科に行ってきました。ずっと調子が悪く、痛みもあったので診察を受けると、子宮体癌の可能性があると言われました。また、ポリープができていたので切除してもらいました。

その後、体調は良くなったのですが、不安が影のように付きまとっていました。すべて神様に委ねているとはいえ、また癌で手術を受けるようになったら大変だなあと、いろいろ考えてしまいました。

検査結果は良好でした。ポリープも悪いものではありませんでした。医師の一言を聞くまで、よほど緊張していたのでしょう。医師の言葉を聞いたら、体の力が抜けたようになってしまいました。

でも、現在の状態は癌になるリスクが大きいので、しばらくは3か月に一度検査をしましょうと言われました。

中村勘三郎さんが亡くなられたというニュースが流れました。
初期の食道癌だから、手術を受ければすぐ元気になれると誰もが思っていたのに……。50代の若さであっという間に召されてしまうとは……同年代の者としてショックでした。

「神様も仏様もいないと思う」と弔問に訪れた大村崑さん言っていましたが、将来のある人が亡くなると、神も仏もいないことになるのでしょうか?

癌でなくても交通事故で一瞬のうちに命を落としてしまう人がいます。少し前までにこやかにおしゃべりしていた人が突然死んでしまったら、どれだけショックなことでしょう。それは誰も予想ができないことで、同じ事故にあっても、ひとりは助かってひとりは亡くなるのはどういうことなのか……その理由のわかる人はいません。

旧約聖書詩編121:7には
「主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたの命を守られる。」と書かれています。
まだ死なないと思っていた人が死んでしまった場合、この言葉は嘘になるのでしょうか。

人は誰でも死がいつ訪れるかわかりません。突然の死、早すぎる死に遭遇すると驚き、恐れます。でも、神様の側からみるとそれは必然の事です。

もし今大地震が起きて天井が落ち、わたしが死んでしまったとしても、それは理不尽なことではありません。
「わざわいから守られなかったし、命も守られなかったじゃないか」と言う人がいるかもしれません。

死んだわたしが遺された人に語りかけることができたらこう言います。
「そのときは一瞬恐ろしかったけど、気が付いたらイエス様といっしょに天国へ来ていたの。聖書の言葉は本当だったわ。わたしは、わざわいから守られ、いのちも守られたの。このいのちは、イエス様が下さった新しいいのちなのよ!」

3か月に一度の検査のたびに死を想うことになるでしょう。それは、わたしにとって神様によって生かされていることを実感する貴重な機会です。

明日は、乳癌の手術記念日。9年たちました。


今日の夕方、この文章の下書きを書いてPCを閉じ、夕飯の支度をしようとしたとき、久々に大きな地震が起きました。パソコンからUSBを抜き取って、それを握って机の下にもぐりました。地震のことを書いた直後だったので、ほんとうに天井が落ちて来るのかとビクビクしていました。何も落ちてこなかったのでほっとしましたが……。
何が起きるかわかりませんね。



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