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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

消えた母との確執

2012-12-04 21:00:58 | 日記
昨日から母が来ていました。毎年、わたしのPCで年賀状を作るため12月初めに来ています。10月に左腕を骨折したので、今年は無理かもしれないかと思っていました。
でも、「行くからね」と言って三鷹から電車で3時間かけて来てくれました。腕はだいぶよくなっていました。今は週2回リハビリに通っています。

今年は1泊なので、着いてすぐ年賀状の図案選びをしてもらいました。
5分もしないうちに「これに決めた」と言うので、「もう少しほかも見てからにすれば」と言っても「これでいい」との一点張り。
母は昔から決断力があり、決めてから迷ったり後悔したりしないのです。

わたしは母と正反対の性格で、決断力が鈍く、迷いに迷った末決めても、あとから後悔するタイプです。
むかしは、人前ではっきりと意見を言って、リーダーシップを発揮している母を見ていると自分が情けなくなってしまうことがありました。自分と母を比較して劣等感を感じていたのです。

言葉で母に傷つけられたことをいつまでも覚えていて、母のせいで意気地なしになったのだと思っていました。
長い間、母との間で確執があったのですが、いつの間にかすっかり消えていることに気づきました。

ずっと母のことを嫌っていたのに、今は母をいとおしく思えるようになり、母のいいところを尊敬できるようになっているのです。なぜそうなったのでしょう……。祈っていたのです。神様が祈りをかなえてくださったとしか思えません。

母にはことあるごとにイエス様のことを伝えていますが、まだ受け入れていません。でも、少しずつ態度が変化しています。

この間、実家に帰ったとき、高校生の姪が来ていました。夕方、姪を迎えに義弟が来たので母と姪、義弟とわたしの4人で夕食を共にすることになりました。妹は大阪出張です。

母とわたしだけのときは、食事のたびにいつもわたしがお祈りをしていました。数年前までは、母はわたしが祈っている最中に「いただきます」と言って食べ始めたりしていました。

最近は、待っていてくれるようになったのですが、まだ「アーメン」とは言いません。
その日は姪と義弟が食べ始めたとき、「お祈りしないとだめなのよ」と、母が言ったのです。
わたしは一瞬耳を疑いました。

母を見ると、手を合わせてわたしが祈るのを待っています。わたしが祈り始めると義弟はちょっとびっくりしたようでしたが、姪は一緒に祈って「アーメン」と言ってくれました。(かつて姪が我が家に来たとき、よく教会に連れて行っていました)

昨日のうちに年賀状印刷ができたので、今日は主人の運転でイオンに行き、買い物をしました。昨年もイオンに行ったのですが、母が気に入った店の場所を覚えていたのには驚きです。(何度も行っているわたしは覚えてないのに……)買い物してお釣りを計算するのもわたしより速くて正確です。何事も母にはかないませんが……そんな母を誇らしく思います。

母が「アーメン」と言ってくれる日が早く来ますように。



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