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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

手足がなくても(その2)

2011-08-20 16:22:27 | あかしの紹介
前回は生まれつき手足のないニック・ブイチチさんのことを書きました。そのニック・ブイチチさんが、サーファーのベサニー・ハミルトンさんにインタビューをしている動画を見ました。
ベサニー・ハミルトンさんは13歳のとき、利き腕であった左腕をサメに食べられて失っています。

彼女は、小さいときから人生を神様にお任せしていたと言います。ただ、神のご意志によって、自分がサーファーの才能を通して用いられることを望み、お母さんと祈っていたそうです。
そのようなとき、事故が起きました。事故が起きたとき、すぐに神が計画した私の人生だと気づいたと言うから驚きです。

日々の生き方、祈りによって、どんなアクシデントが起きてもあわてない信仰の姿勢が表れていますね。

事故が起きたとき、友人が聖書のエレミヤ29:11を示してくれたといいます。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ。ーそれは、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレミヤ29:11)」

片腕を失ったら、普通ならショックを受け、不幸な事故にあったと思うでしょう。でも、彼女は決して不幸だと思っていません。神様からの計画であると確信したからですね。

彼女は、神様が忍耐力と、サーフィンに対する新しい情熱を与えてくれたと言いました。

「もし、サーファーじゃなかったら、どうやって難局を乗り越えられましたか?」
とニックさんが質問すると、
「サーファーがわたしにとっていちばん大切なものではない。いちばん大切なのはイエス・キリスト。イエス・キリストがサメからの恐怖を取り除き、前向きに生きる力を与えてくれた」とあかししました。

「もし、可能なら腕を取り戻したいですか?」と尋ねられると、Noとはっきり言いました。
片腕のない状況によって、健全な人に希望を与えられるから、腕はいらないと。

ベサニー・ハミルトンさんは事故にあったことが神様の計画だと知り、片腕がないことを受け入れています。

片腕がないことを嘆くのではなく、むしろこのことによって、イエス・キリストを伝えられ、人々に希望が与えられると喜んでいるのです。

ニック・ブイチチさんも同じです。彼は障害を受け入れるまでは苦しみを通りましたが、受け入れてからは、手足のないことをむしろ喜んでいます。

現在体が健康で、障害のない人でも将来はどうなるかわかりません。病気になったり、事故にあったり、また年を重ねれば、体が思うように動かせなくなります。

でも、そのことを受け入れられれば、嘆きは喜びに変わります。
癌になっても、神様の計画として受け入れられれば、精神的苦痛は取り除かれます。

人間、どんな状態になっても、イエス・キリストによって希望を持ち続けることができるということを2人のあかしを通して教えられました。
おわり



Nick interview with Bethany (英語、日本語字幕)




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