夏期キャンプ2日目の朝も雨が降っていました。そのおかげで子どもたちはみな6時ごろまでは寝ていました。(例年は明るくて4時ごろから起きてしまう子どもが多いのです)
2日目の主な活動はオリエンテーリングと流しソーメンです。どちらも部屋の中より外で行うことを前提としていたので、その時間だけでも雨がやみますようにと祈りました。
6時半から1年生10名の部屋で聖書を読み、祈る時間をもちました。各自持ってきた聖書を開きます。1年生でも大人と同じ聖書を使います。これまでに何度か分級で聖書を開いていましたが、子どもたちは慣れていません。
聖書箇所はマタイ20:1-16です。「今日の礼拝でお話しを聞く箇所よ」と言うと一生懸命さがしていました。
マタイがどこにあるのかわからない子どもがほとんどです。全員が開くまで10分近くかかりました。ようやく全員が開いたので、ひとり1節ずつ順番に読むように言いました。
1年生にとって意味のわからない言葉が多かったと思います。つっかえ、つっかえ読んでいましたが、ほかの人が読んでいる時はちゃんと聞いていて、静かな集中したひとときでした。(分級ではこんなに静かになったことがありません。びっくりしました)
朝食のあと掃除を済ませると、礼拝が始まりました。1年生の子どもたちは「朝、聖書読んだから、今日のお話しのこと少し知っているんだ」「ぶどう園が出てくるんだよ」と得意げに話していました。前もって読ませていてよかったと思いました。
K先生がしてくださったお話しのあらましを紹介します(メモをとっていなかったので少し違う部分があるかもしれません)
ぶどう園の主人は、ぶどう園で働く人を探しに朝早く市場に出かけて行きました。そして、9時~6時まで6千円で働くように約束してひとりの人を連れてきました。
仕事が今日中に間に合いそうもないと思ったので、主人はもうひとり働く人を探しに12時ごろ市場へ出かけて行き、連れて来ました。
また、主人が5時ごろにも市場に行ってみると、人が立っていたので、ぶどう園に行って働くようにいいました。
6時になったので、ぶどう園の主人は、お金を払うことにしました。
このとき、お金をもらっていちばん嬉しい人は誰でしょう?
主人は、いちばん最後に来た人からお金を払うことにしました。この人は1時間しか働かなかったのですが、6千円渡しました。
12時に来た人にも6千円渡しました。最初に来た人は、たくさん働いたので、もっといっぱいお金をもらえると思っていましたが、やはり他の人と同じ6千円でした。
その人は文句を言いました。でも、最初に来た人は、1日6千円という約束をしていたので、ご主人がずるいことをしたわけではありません。働いた分の報酬としてお金をもらったのです。
最後に来た人は、そんなにたくさんのお金をもらえる資格のない人でした。でも、ご主人はその人にも6千円あげたかったのです。この人がもらったものは報酬ではなくて恵みといいます。
わたしたちは、最後に来た人のようにもらう資格のない者ですが、神様が恵みをくださいました。神様はそういうお方なのです。
(雇われた労務者の顔の絵を貼りながらお話しされました。聖書にはブドウ園の主人は早朝と9時、12時、3時、5時の5回市場に行っていますが、9時と3時は省略しています)
わたしは初めてこの聖書箇所を読んだとき、自分が最初に雇われた人だと思いました。そしてその人と同じように、神様(ぶどう園の主人)は不公平だと思ってしまいました。でも、自分が最後に来た人だと思って読んでみると、神様のしてくれたことがどれだけ愛に満ちていることかわかります。
最後に来た人は、主人に会うまで、仕事がなくて不安な時間を過ごしていたのですから。
体の隅々まで恵みが注がれた気持ちになりました。
つづく
にほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。
2日目の主な活動はオリエンテーリングと流しソーメンです。どちらも部屋の中より外で行うことを前提としていたので、その時間だけでも雨がやみますようにと祈りました。
6時半から1年生10名の部屋で聖書を読み、祈る時間をもちました。各自持ってきた聖書を開きます。1年生でも大人と同じ聖書を使います。これまでに何度か分級で聖書を開いていましたが、子どもたちは慣れていません。
聖書箇所はマタイ20:1-16です。「今日の礼拝でお話しを聞く箇所よ」と言うと一生懸命さがしていました。
マタイがどこにあるのかわからない子どもがほとんどです。全員が開くまで10分近くかかりました。ようやく全員が開いたので、ひとり1節ずつ順番に読むように言いました。
1年生にとって意味のわからない言葉が多かったと思います。つっかえ、つっかえ読んでいましたが、ほかの人が読んでいる時はちゃんと聞いていて、静かな集中したひとときでした。(分級ではこんなに静かになったことがありません。びっくりしました)
朝食のあと掃除を済ませると、礼拝が始まりました。1年生の子どもたちは「朝、聖書読んだから、今日のお話しのこと少し知っているんだ」「ぶどう園が出てくるんだよ」と得意げに話していました。前もって読ませていてよかったと思いました。
K先生がしてくださったお話しのあらましを紹介します(メモをとっていなかったので少し違う部分があるかもしれません)
ぶどう園の主人は、ぶどう園で働く人を探しに朝早く市場に出かけて行きました。そして、9時~6時まで6千円で働くように約束してひとりの人を連れてきました。
仕事が今日中に間に合いそうもないと思ったので、主人はもうひとり働く人を探しに12時ごろ市場へ出かけて行き、連れて来ました。
また、主人が5時ごろにも市場に行ってみると、人が立っていたので、ぶどう園に行って働くようにいいました。
6時になったので、ぶどう園の主人は、お金を払うことにしました。
このとき、お金をもらっていちばん嬉しい人は誰でしょう?
主人は、いちばん最後に来た人からお金を払うことにしました。この人は1時間しか働かなかったのですが、6千円渡しました。
12時に来た人にも6千円渡しました。最初に来た人は、たくさん働いたので、もっといっぱいお金をもらえると思っていましたが、やはり他の人と同じ6千円でした。
その人は文句を言いました。でも、最初に来た人は、1日6千円という約束をしていたので、ご主人がずるいことをしたわけではありません。働いた分の報酬としてお金をもらったのです。
最後に来た人は、そんなにたくさんのお金をもらえる資格のない人でした。でも、ご主人はその人にも6千円あげたかったのです。この人がもらったものは報酬ではなくて恵みといいます。
わたしたちは、最後に来た人のようにもらう資格のない者ですが、神様が恵みをくださいました。神様はそういうお方なのです。
(雇われた労務者の顔の絵を貼りながらお話しされました。聖書にはブドウ園の主人は早朝と9時、12時、3時、5時の5回市場に行っていますが、9時と3時は省略しています)
わたしは初めてこの聖書箇所を読んだとき、自分が最初に雇われた人だと思いました。そしてその人と同じように、神様(ぶどう園の主人)は不公平だと思ってしまいました。でも、自分が最後に来た人だと思って読んでみると、神様のしてくれたことがどれだけ愛に満ちていることかわかります。
最後に来た人は、主人に会うまで、仕事がなくて不安な時間を過ごしていたのですから。
体の隅々まで恵みが注がれた気持ちになりました。
つづく

↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。