生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心の漂流者

2010-01-21 16:35:31 | エッセイ

先日、「心が漂流している」という青年のことがTVで放映されていました。彼らは、自分の居場所がなくてむなしさを感じています。もし、自分が死んでも誰の人生も変わらないのだから死にたいと思い、リストカットを繰り返します。すべてがどうでもよくなってしまい、薬物にも手を出してしまいます。


「悲しいのに泣けない」
というのを聞いて、心が痛みました。

暴走族に入っていた女子が、あるとき取材を受け、大人の誰かが真剣に話を聞いてくれることで救われたと言っていました。そして、こんどは彼女が心の漂流者たちの話を聞いているそうです。

かつてのわたしも漂流者でした。どこへいくのか、どこへ向かって行ったらいいのかわからずに魂はさまよっていました。中学生のときは真面目で一生懸命努力する子どもでした。単語カードを持ち歩き、食事の間も覚えていて母親にしかられました。勉強に関しては努力すればするほど成績が上がり、目に見える結果が出ます。

でも、成績が上がって何になるんだろう? たとえいい大学に入っても生きる目的がないのだから仕方ないじゃないか・・・。と考え、たとえ社会に貢献する偉い人になったとしても、人間最後は死んでしまうのだというところへ考えが行きつくと、すべてがむなしくなってきました。

何のために生まれてきたのか? 何のために生きるのか? 人生は、苦しみに耐えてまで生きる価値があるのだろうか? と考えて、わたしの出した答えは、「そんなにまでして生きることはない」でした。

そのころの苦しみというのは、友だちがいなかったことと喘息の苦しみです。中学生になったら治るといわれていた喘息が治るどころかひどくなってきたこと。一生治らないかもしれないと思えたことです。
「生きることはない」と結論は出ても、自殺する勇気もなく、心は漂流を続けながら生きてきました。

そして、とうとう心の居場所をみつけました。
それは、イエス様の懐(ふところ)でした。イエス様は「そのままでいい」と言ってくれました。


「何もできなくていい。不器用な者でいい。お前はなくてはならない存在なのだ」
と言ってくれました。長い間の漂流生活は終わったのです。

今、どこへ向かって歩んでいけばいいかわからずにさまよっている方。心に冷たいすき間風がふいて、むなしさにため息をついている方。本当の愛なんか存在しないのだと思っている方。

わたしは、そんな方たちにキリストを伝えたいです。キリストこそ行きつくべき場所。
キリストこそ愛のお方だからです。

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