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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

希望へ向かっての一歩

2010-01-03 17:09:27 | 教会
今日も限られた時間に書いています。

今年最初の主日の礼拝を受けました。
年間テーマ聖句は
「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(Ⅱコリント4:16)」
です。

母が唯一興味を示してくれたみ言葉です。
年を重ねると言うことは、衰えを日々感じていくことです。母は実年齢より10歳ぐらい若く見えると周りの人から言われ、そのことが母の誇りでした。でも80歳になると、「いくら若く見えたっ70歳。もうお婆さんよ・・・」と嘆くようになりました。

加齢は、どんな人も避けようもない事実です。
芸能人でも金持ちでも年をとることにおいては公平ですね。女優さんで何十年も変わらず若く見える人がいても、体は確実に老化していると思います。
わたしは、もとから体力がないので、加齢によって体力が落ちたとは感じませんが、視力の衰えで老化を感じます。新聞の字も眼鏡なしでは読めなくなってしまいました。

どうして人は(人だけなく生物すべてですね)老化していくのでしょう?

世界には人が68億もいるのですから、全く老化しない人がひとりくらいどこかにいるのではないかと空想してしまいます。でも、現実にはそのような人は存在しませんね。

外なる人と内なる人に分けて考えると、聖書の言葉にあるように、外なる人(肉体)は衰えても内なる人(人格)は日々新たにされるということは本当だと思わずにはいられません。


内なる人が生き生きとしておられる人生の先輩を見ていると、魂はわたしより若いと思うことがあります。
新鮮な感動や驚き、新しいことに挑戦する心を100歳近くになっても失わない方を知っています。どうしてその方の内なる人が日々新たにされているのでしょう・・・。

「信仰によって神と交わることにより、内なる人が日々新たにされているのです。主イエスのように変えられていくのです」
と牧師先生が言われました。

聖書の言葉
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ形かたちに姿を変えられて行きます。(Ⅱコリント3:18)


「外なる人は衰えても」の『衰える』は『傷を受けても』、『ゆがむようなことがあっても』と言い換えられるそうです。
「過去の色々な出来事がら傷つき、人格がゆがんでしまうことがあります。でも、それを受け入れるように。その事実は神の恵みの素晴らしさをきわだたせてくれます。」

と聞いてほっとしました。


わたしの人格も傷つきゆがんだ部分があります。でも、傷ついていてもゆがんでいても、悲しむことはないのですね。わたしは土の器にすぎません。器がどんなにゆがんでいても、中に入っているものがすばらしい宝なのですから、卑下することはないのですね。弱くてだめな器である方が中に入っている神の恵みの素晴らしさがきわだつのですから、なんと嬉しいことでしょう。

外なる部分の衰えに目がいってしまいます。そして、人生の行きつく先は死だと思うと、絶望しかないと思ってしまいます。
でも、死さえ絶望ではないのです。死を超える希望があるのです。

「衰えさえ希望に向かっての一歩」と聞いたとき、心の中が晴れわたった青空のように明るくなりました。

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